gottaNi ver 1.1


 透明なビニール袋の中で、窮屈そうに淡い緋色が揺れ動いていた。
「……金魚か?」
「金魚でなければ何に見えるのさ。メダカ?」
「あぁん? 馬鹿ぬかすなよ風流、こんなでけぇヒメダカがいてたまるか」
 始まってしまった舌戦はひとまず無視して、香籠は万化に声をかける。
「また可愛らしい戦利品だね?」
「はい、風流が下さったんですが……口紐が切れてしまって、両手で持っていないと危ないんです」
「成程。……落とさなくて何よりだったな」
「はい」
 手の中に慈しむ視線を落とし、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
 つられるように笑みを浮かべて、香籠も金魚を眺める。
「ふむ……何にせよこのままでは面倒だろう、別の仮宿を用意してやったほうが良いだろうね」
「水槽は店で取扱いがありますから、連れて帰った後は大丈夫なんですが……」
「少々乱暴だが、適当な容器に移し替えて、袋詰めにしてしまうか」
「大丈夫でしょうか」
「しばらくは持つだろう。一応、お守りも入れておこうかね」
「……お守り?」
「ああ。――的場屋」
 呼べば、存外にあっさりと言い合いをやめて、二人ともがこちらを向いた。

「おう、容れ物か?」
「それと、水も貰えるかね。池から分けたものなら、お守りくらいにはなるだろう」
 宮の水には多少の霊験がある。少し延命を助けるくらいなら、期待できた。
「構わねぇよ、なら、ちょっくらヌシさんから頂戴してくるか。――ああそうだ、手前ぇら、西瓜は食うか?」
 二つ返事で引き受けた的場屋が、続ける。
「丸ごと貰っちまったんだが、さすがに一人で平らげるのはキツイ。食ってくれるなら、ついでに切って持ってくるんだが」
「私はさして食べていないから、入るが」
 会場を回ってきた二人は、色々と食べてしまっているかもしれない。

 視線で問うと、風流も万化も大丈夫だと頷いた。
「ざっと回るのを優先してたから、大して食べてないし、いけるよ。っていうか、ごめん香籠、これ溶ける前に渡そうと思ってたんだけど、忘れてた」
 言いながら彼が差し出したのは、かき氷。
「あぁ……そういえば、確かに持っていたな」
 受け取って、ついていたストローで軽くかき混ぜると、半流動体が出来上がる。
「……まあ、折角だ。頂いておこうか」
「うん、よろしく。……このチョコバナナ、冷凍庫に突っ込んで冷やし直せないかな」
「アホか。西瓜が来る前にとっとと食っちまえ。他に足の早ぇ食い物はないだろうな?」
 半眼で問う的場屋に、持っていた袋の中を確認した風流が答える。
「焼きそばとたこ焼き」
「まぁ、置いといても問題ねぇか。敷物も取ってくるから、広げんならその後にしろ」
 仕方なさそうに嘆息したところに、万化が手伝いを申し出た。
「あの、宜しければお手伝い致しますが。容れ物もお借りしなければいけませんし」
「……あぁ、そうだな……そいつらは早めに移してやりてぇか。おう、借りてってもいいか?」
 手許の金魚に目をやってから、的場屋が一応と許可を求める。
「本人の申し出だ、構わないだろう。好きにしたまえ」
「いいんじゃないの? 西瓜ひと玉と金魚と敷物を一人で持って来いとは、流石に言いにくいよね」
「……投げやりになってきてんなぁ、手前ぇら」

「……あー、やっと静かになった」
 的場屋と万化が席をはずして、物音が遠くの喧騒だけになると、ほっと息を吐いて風流が呟いた。
「まあ、たまには良いだろう。貴方はもう少しヒトに揉まれたほうがいい」
「いや無理。的場屋とか、無理。舌戦か冷戦かしか無理」
「ならば舌戦だろうな」
「即答しないで欲しいんだけど」
「あれはあれで気にかけているのだから、関わった方が良いよ。本当にどうでもいいなら、その場合の的場屋は概ね友好的だ」
 面倒になって、器に口をつけて氷をすする。
「……時々、割と雑だよね、香籠」
「うん?」
「洋服でかき氷をすする香籠を見る日がくるとは思わなかった。着物で抹茶ならともかく」
「ここまで溶けたものを、いちいち掬って食べるのは、いささか手間だな」
「うん、まぁそうなんだけど」
「ところで、風流」
「ん、なに?」
「これは何味を混ぜた?」
 見た目は緑だが、おそらくメロンではない。
 匂いから、何かの混合だろうと当たりをつけて尋ねると、案の定だった。
「レモンと……何だっけ、すごい青かったやつ」
「黄色と青を混ぜて緑か」
 納得して頷くと、思い出し笑いを零して、風流が経緯を説明する。

「最初は宇治抹茶とか言ってたんだけど、まあ出店じゃ置いてないよね。で、シロップかけ放題のところで適当に買ってさ。予定だと、二色にきっちり分ける筈だったんだけど」
「混ざった、と」
「そう。ちょっと混ざった辺りで、万化がどうしようって顔してたからさ。味はどうせ似たようなものだろうし、もう混ぜればいいんじゃないの、って。最近はシロップがやたら選べるみたいだけど、あれ多分、成分はほとんど同じだよね」
 話しながら、口のまわりを指で拭って、ついたチョコレートに顔をしかめた。
「……これ物凄いことになってない? ひょっとして」
「洗ってきた方がいいだろうね。道場を出てすぐに手水場があったろう」
「行ってくる」
 面倒くさいものを買った、とぼやく風流に苦笑して、香籠はふと、問いかける。
「風流」
「ん?」
「楽しめているかね?」
「…………」
 別に答えは求めていない。要は自覚の問題だと、返答は期待せず、風の運んでくる喧騒に耳を傾けた。
 虚を突かれたような沈黙の後、手水場へ向かう足音がして……道場から出る間際、気配が止まる。
「――悪い気分じゃ、ないよ。万化も気晴らしができて楽しそうだったし」
 わずかばかり拗ねた調子の声が、乱雑に投げて寄越された。

 ぬるい空気を扇ぎながら、月夜を仰ぐ。
 控えめな足音と共に気配が二つ近づいてきて、用を済ませた的場屋と万化が戻ってきた。
 肩越しに一瞥して、よぎった昔日の面影に、香籠は思わずふっと表情を緩ませた。
「……何だ? ひとの顔を見るなり笑うなんざ行儀が悪ぃぜ、香籠」
「いや……なに、大した事ではない」
 的場屋の舌打ちに振り返り、声音を笑わせたまま。
 奥から顔を見せた風流に目を向けて、香籠はからかう調子で言葉を続ける。
「小生意気な若造というのは、存外、育てば面倒見のいい大人になる例が少なくないなと、可笑しく思っただけだ」
「は?」
「手前ぇ……」
 流れを把握していない『若造』が怪訝な声をあげ、察した『大人』が低く唸る。
 いっそう笑った口元は扇で隠したが、見抜いて更に凶悪な舌打ちをした的場屋が、持っていた敷物を香籠に投げ渡す。
「おっと」
「うるせぇ、馬鹿を抜かす暇があるなら手伝いやがれ」

 敷物を広げ、出店で買った食べ物を並べると、切り分けられた西瓜が置かれた。
 その横にちょこんと、万化が金魚の入ったタッパーを置く。
「せっかく出会ったんだ、しっかり可愛がってやれよ」
「はい」
 持ち運ぶための袋まで渡してやっている、面倒見のいい様子にまた笑みが浮かぶが、それは西瓜を齧って適当に誤魔化した。
 視線をずらすと、似たような顔で同じく西瓜を咀嚼している風流と目が合った。
 もごもごと種を吐き出して眉根を寄せる風流に、香籠は小さく肩をすくめてみせる。
「……なんでこう、あれなのかな。過保護な保護者っていうか、見てると居たたまれない、この感じ。なに?」
「道場には子供も来るしな、まあ、危なっかしいものは性分として放っておけないのだろう」
「はー」
 小声で会話していると、渋面になった的場屋が万化をこちらへ差し向けてきた。
「あの、香籠に風流」
「なに?」
「どうしたね?」
「もう少しすると、花火が上がるそうなのです。見やすいように、矢場へ降りてよいと的場屋が仰って下さって……いかがですか?」
「へぇ」
 手のひらで外を示し、万化が尋ねた。興味を引かれた様子で、風流が射場から軽く身を乗り出す。
「行っておいで」
「香籠はどうされます?」
「まあ、打ち上がってから考えるかね。西瓜もまだ残っている事だ」
 返答して一口また齧る。
 扇を軽く振って矢場を示すと、二人は顔を見合わせてから腰を上げた。
「食うなら皿を持ってけよ、さすがに矢場を汚されんのは御免だぜ」
「はい」

 結局そのまま、射場から座って花火を眺める。
「ったく、あの小僧に余計な事を吹き込んだんじゃねぇだろうな」
「何の事かね?」
 ちらちらと尾を引いて上がる花火へ視線を逃がし、そらとぼけて薄く笑えば、横から舌打ち。
「ガラじゃねぇんだよ、力を扱いかねて突っ張ってるガキのお守りなんざ。……昔の馬鹿を思い出すのは、好きじゃねぇのさ」
「放っておけなくなった時だけで構わないだろうよ。どうにもならない場合は意地を捨てるよう、そこは叩き込んでおくから気にせずとも良い」
「素直に泣きつくかねぇ、あの時分のガキは面倒臭ぇ生き物だぜ」
「意地を捨てられなければ死ぬと、それが分からないほどの間抜けなら、意地を通して死ぬのもまた、仕様のない事だろう」
 涼やかに、香籠は事も無げな顔で言い切った。
 西瓜に歯を立て、含んだ種ごと噛み砕いて飲み込む。がり、と、殻の砕ける感触。
「……変わらねぇな、手前ぇは」
 今度は的場屋が苦笑して、西瓜にかぶりつくと、種を吐き出した。
「だが少し、急かし過ぎじゃねぇかと思う部分もある」
 ――行くのか、と。
 言外に込められた問いには沈黙で答える。
「どれかと言えば、本人がまだ、足掻いてないと落ち着かないようでね。まぁ幾つか、私としても懸念して優先順位を変えている事はあるが」
「そうか」
 深入りはしないのが、奇跡屋の取り決めだった。
 短く応じて、的場屋も花火に目を戻す。

「……あぁ、終わるな」

 ひときわ派手な尺玉が大輪の花を咲かせて、じきに空が夜の暗色へと戻った。

 ざあと一陣の風が起きて、各々の間を吹き抜ける。
 残るのは蝉時雨、いつも通りの夏の夜。


UP:2016-04-06
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