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伽羅真鳥比売……唐の、いつくしき鳥の姫。単に真鳥と呼ばれることもあった。天帝少女。姑獲鳥の姫君として知られる女の、忘れ果てられて久しい名。
真名にも近いそれを口にして、男は形ばかりの笑みを向ける。
「お前も、あの女童も、流石に哀れが過ぎようよ」
常ならば、捨て置いた。歪み、腐るのも、また自由であり、帰結のひとつとしては妥当だと思ったろう。
数えるにも多すぎる人の末期を見届けて、少なからぬ霊異を看取り、天地にも聖俗にも上澄みを掬うように関わってきた。諦念、あるいは達観が染み付いて長い。
それでも僅かばかり、知己の有様に苛立ちを覚え、言葉に毒を含ませたのは、ある意味で同胞である『越境者』への、執着か。
目の奥、頭の芯で影が揺らめく。
「手を、離せ。そのまま無様に情を履き違え、諸共に果てるが本望か?」
遠く、いまひとりの己が苛烈に笑う気配を感じながら問い質すと、女は息ひとつを零した後に吐き捨てた。
「……腹立たしい。貴様、そうしてみると、よう似ておるわ。鬼の子は人に交じろうともやはり鬼じゃの」
幾度か聞いた、慣れた恨み節。目を細めて、男は今度こそ、確と笑む。
それでいい。
益体もない情に溺れ、らしくもない末路を辿って屍を晒すくらいならば。
互いにこのまま、変わらぬ態でいよう。
遠い遠い、昔の話。
世界は今より穏やかで、その中心にはひとつの<庭>があった。
<庭>に座するは、唯一無二にして不可分の、極みに立つ者たち。
一人は翼持つ大いなる鳥。
気紛れで快活、よく笑い、よく怒る、火と風とを支配し庇護するもの。
一人は水脈(みお)導く大いなる海蛇。
生命の命脈たる水を司り、煮え滾ることも凍てつくこともなき中庸のもの。
一人は地と木々に連なる大いなる樹。
落涙も凍る凍土を統べ、しかし同時に、実り多き幸いを静かに望む静謐のもの。
<三極>の、その蜜月は、永久に続くと誰もが疑わず――。
風もなく揺れた木漏れ日に、枝へと触れた者がいることを察して、<大樹>は頭上を向いて声を掛けた。
「……イグ?」
呼びかけに応え、いっそう大きく木々が揺れる。
「コード!」
返事とほぼ同時に、満面の笑みを浮かべた<翼鳥>が落下してきた。
<大樹>が腕を差し伸べるより僅かに早く、ふわりと背に淡く揺らめく翼をはばたかせ、<翼鳥>は地へと降り立つ。
伸ばされかけた手に気づくと、嬉しそうに身を寄せた。
「んふー」
「……いきなり飛びつくなと、言っているだろう……」
「コードが見つけて呼んでくれたから、嬉しくなって、つい」
「…………」
「……お、おこった?」
「……いや」
沈黙に、笑みを引っ込め、一転して不安げな問いをしながら眉を下げ、しかし、返された否定の一言にまた顔を綻ばせる。
よく変わる<翼鳥>の表情に内心で少し笑いつつ、<大樹>は小さな溜め息とともに、言葉を継いだ。
「呆れて、いる」
「っ!?」
途端に慌てだす<翼鳥>は、あたふたと目を泳がせ、口を開け閉めし、また眉尻を下げて、それからほんのり、涙目になる。
「…………」
「……あう」
……そんな、どうということもない、些細な日常が永遠に――それこそ世界が終わるまで、続くと思っていた。