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その子供はある時に無から生まれた。魔力、と呼ばれる力が、歳月を経て形を得たのだ。ぼんやりと世界を眺めていたのは、どれほどの間だったろうか。長い揺籃の時代の後に、魔晶、と呼ばれる種族として存在を確かにした日、その瞳には漆黒が宿っていた。
髪は白刃のような灰銀色。本来その色に付随するのは、雪白の青、淡い碧眼のはずだった。それは世界が定め、世界の中に在るものたちが「揺るがない法則である」と認め、ほぼ強制的に顕れる、契約のような、認識の枷。
生まれながらに枷を破るほどの、底知れない力を携えて、その子供は、顕現した。銀の髪に黒の瞳、有り得ざる幻想の魔物として。
その頃はまだ、正しく『子供』であったその『魔』は、ほどなく己の異端について知る。同族からの、度重なる排撃の解が、その瞳に象徴される、天与の力への恐れと、枷の存在を揺るがす事実への嫌悪らしい、と。
そうして、子供はいつしか、銀魔、と呼ばれるようになった。排撃に倦んで、散々に暴れたうえ、開き直り居直った挙げ句に、愉快犯じみた性質を確定させた末のことである。
その核にあるのは、とある契約を刻んだひとつの名だ。何人にも捕らえること能わぬものを意味する、古い慣用句。月に住むという幻想の存在がまとう羽、LunaRifElRoovice.……すなわち、なにものからも『自由』であれ、という、呪いと祝福が、銀魔、いまはルナと名乗るそれを、それとして定義している。
雪が舞う。懐かしい風景を思い出させる白い色は、記憶の果てで踊る粉雪よりも少し重く、大きい塊だった。
「Meister(マイスター)……っ!」
紡いだ名前はかすれて響き、ああ何て情けない声だろうかと自嘲して、その《乙女》は軽く唇を噛む。
ふわりと風になびき、軽やかにゆるく波打つ、薄青い雪陰のような髪。
睨むように険しく細められた瞳は、凍てつく氷が宝石になったような淡い碧。
品よく並び、青みを帯びた影を落とす、瞳を縁取る長い睫毛は髪と同じ色。
Jungfrau――容易には人を寄せ付けない、美しくも険しき乙女。
その名で呼ばれる少女は、怒りを露わにしてもなお、名に違わぬ気高さで凛と立ち、冷たくも甘い笑みを浮かべてみせた。
自分を庇うようにして、積もった雪を散らして転がった、馴染んでしまった相手の名をもう一度だけ呼ぶ。
「職人さん(マイスター)……そんなところで眠ってしまったら、風邪をひいてしまうわ。寒さには弱いのでしょう?」
「……ヤー」
「しっかりなさいな!」
白い地面に点々と染みる赤を目の端にとらえ……それでも、返ってきた声があったことに、笑みを深める。
「仕方ないわね……」
そうして、氷菓の姫は、朗々と声を紡ぎ出した。
「ねえ、そこのお客様、少し私と遊んでちょうだい? ――野蛮な殿方は嫌いだから、加減を間違ってしまったらごめんなさいね」