gottaNi ver 1.1


 ひりつく暑さの続く夏盛り。
 連日の猛暑にも枯れるそぶりも見せず、思うざまに生い茂る木々の緑を背景に、佇む人影がひとつ。

 蝉時雨さえ涼しげに感じさせるその姿に、的場屋(まとばや)は一時だけ歩みを止めた。
 彼の気配を察して振り返った香籠(かごめ)が、訝しげに声をかけてくる。
「どうかしたかね?」
「何でもねぇよ。……夏場に見ると目に痛ぇ色合いだと思っただけさ」
 答えれば、ああ、と苦笑で応じられた。

 濡れ羽色の髪は、黒いくせに艶が陽光をよく照り返す。さすがに神域に近いここでは、いつもの白衣を羽織るのはやめているが、代わりのように着ているのが白いワイシャツで、これも夏の日差しを反射していた。
 下はこれまた黒のズボンに、ほぼ黒と言っていいような濃い茶の革靴。

「相変わらず見事に二色だな、手前ぇは」
 まぶしさに目を眇めて悪態をつく。だがまぁ、言われ慣れているだろう。気にした風もなく、香籠はさらりと言葉を流した。
「性分でね。香の取り合わせを悩んでいると、服の色味まであれこれと整えるのが煩わしいんだよ」
 薄く色のついたレンズの奥で、ほぼ唯一の例外である灰緑色の瞳が笑う。
「もともと、さほど出歩く商売でもない。目に痛いと言っても、室内にいる分には言うほどでもなかろうさ。……残り香に問題は?」

 問われて、的場屋は軽く周囲の空気を嗅いだ。
 庭先に広がる緑と土の気配に、古い家屋が持つ特有の匂い。その中にひっそりと漂う独特の香りに、軽くうなずいて答える。
「いや……無ぇな。注文通りの出来だ」
「それは何より。では、ひとまずこれで納めよう。具合が悪くなるようなら調整する」
「ああ。車を回すんだろ? 中で待っておけや」
「そうさせてもらおう。……やれ、さすがに炎天下はきつい」
「よく言うぜ。汗ひとつかかねぇような涼しい顔で、ふざけた事を抜かしやがる」
「それは、いささか過大な評価だろうな」
 軽口を交わしつつ、室内へ戻る。

 飲み物を用意しようと台所へ移動して、的場屋はふと、戸棚のガラスに映った顔に目を止めた。
 よく日に焼けた浅黒い肌は、病的な白と紙一重な香籠のそれとは対照的で、若い時分とさして変わらない。ただし髪はところどころ色が抜けてきたし、目を細めれば皺も目立つようになった。
 どう見積もっても三十がせいぜいだろうという香籠とは、一回り近く離れて見える。
 ――歳を取ったな、と。
 埒もない事を考えた自分に舌打ちして、彼は追憶を振り払った。

「おう、車は?」
「呼んだ。じきに来るだろう」
 渡した冷茶に礼を述べてから手を伸ばし、一口つけてから、香籠がわずかに首をかしげる。
「どうしたね? 的場の」
「ああ……なんだ、暇ならで構わねぇんだが」
「ふむ?」
 切り出し方に少し迷ってから、面倒だと、単刀直入に話を明かす事にした。
「今度お宮さんの祭りがあんだろ? あれでな……最近どうにもキナくせぇから、森のほうを見回っておきてぇんだが、そうすると社殿のほうが留守になっていけねぇ」
「……あぁ、例の特区がらみで揉めたからか」
「もう幾らか若けりゃ、とりあえず留守にして、何かありゃあ駆け付けてもよかったんだがな」
 苦く笑って、続ける。
「さすがに俺も自分の歳くらい認めにゃならん。もう無茶は利かんだろうさ。誰かに社殿のほうを頼みたいが、あれだ……借りで言やぁ絡繰屋なんだが……」
「無理だな」
「おう、あいつにだけは任せらんねぇ。――頼んでいいか」
 特区の件でひとつ貸しにした相手だが、間違っても、あの規格外に大事な社殿を一任する気にはなれない。
 即座に応じた香籠の述懐に深く同意して、本題に入る。
「身体が空いてんなら昼から頼みたいところだが、まぁ夜だけでも助かる。送迎には万化を使えば、車の方は何とかなんだろ? 出店の余りでよければ、メシくれぇは都合できるしな」

 くすり、と。
「――成程?」
 見透かした笑みを零して、香籠が小さく呟いた。
 いま自分は相当な渋面だろう、と思いながら険を込めた目を向けると、変わらぬ涼やかさが視線を受け止めて、いっそう笑う。
「風流か」
「……呼ぶのは、万化さ。あのいけ好かねぇ小僧は知らんね」
「成程? まぁ、そういう事にしておこうか」
 同じ相槌を繰り返して、香籠は素知らぬ顔で独り言をもらした。
「風流もようやく気鬱から戻ってきたようで、付き合っていた万化も息抜きは欲しい頃合いだろう。私としても、宮の守りとなれば、察しの良い相手に送迎を任せた方が気がかりが減る」
「…………」
「留守居の間は、適当に辺りで遊ばせておいても構わないのだろう?」
「……ああ、その辺はやりやすいようにやってくれりゃあ、文句はねぇな」
「万化の事だ、どうせ瘤つきだが」
「……ああ、いちいち口出しするほど野暮じゃねぇさ。図体と態度のでかい、小生意気な、いけ好かない瘤だろうと、知るかっ」
「では、それで引き受けよう」
 吐き捨てるように答えれば、くすくすと、本当に楽しそうに笑って、香籠が承諾の意を示す。

 日取りと大まかな見回りの予定を伝え、段取りを任せる。車に向かう香籠を玄関まで見送って――面白くないと語る気配に、苦笑された。
「やれ、そう眉間に皺をよせてばかりでは、癖になるぞ」
「うるせぇ、この歳で皺のひとつやふたつ増えた所で、知るか」
 ふん、と鼻で息をついて、着流しの袖に手をつっこむ。
「妙なところで大人げないね、貴方は。後進の面倒を見るだけの甲斐性が出た、というだけの話だろうに」
「はなっから余裕綽々の奴に言われたんじゃ、面白くも何ともねぇ」
「やれ、面倒な事だ」
 面倒と言いながら、それでも気配は楽しげなまま。的場屋にすると、昔はこの余裕が薄気味悪いわ癪に障るわで、今もつい反発してしまうのが癖になっていた。
 袖の中、人差し指で苛々と肘を叩く。
 香籠は呆れたように肩をすくめて、苦笑しながら、降参だ、と戯れてみせた。
「悪いね、これも性分のようなものだ。そういきり立たないでもらえると有り難い。他人の背を押してばかりの商売なものでね、どうしてもそちらには目ざとくなる」

「……幾つ歳をくっても、昔の馬鹿を思い出させる顔を見んのは、面白くねぇのさ」
 呼んだ車に乗り込む寸前、苦々しい想いをそのまま乗せて呟く。
 目だけで応じて、香籠が微笑した。
「では、宵宮で」
「――ああ、留守は頼む」


UP:2016-04-04
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