gottaNi ver 1.1


……この相手の目的も意図も、信用も、分かりはしないし判断もできない。それでも、決断はしなければいけなかった。

07.

 ……遅い。
 
 ぼんやりと改札を眺めてもうどれほどになるだろうか。待ち人らしき姿は一向に現れず、何度目かの確認にもメールソフトは沈黙を返すだけだ。
 昨日の今日でこれは勘弁してほしい、と、ヨリはまた手元の端末を触るが、いつも連絡に使っているメールは相変わらずで。着信や、他の通知もとくに届いて来てはいない。
 これが列車の1本や2本ならまだ、あのばかたれがまたなにか寄り道でもしているのかと思えていたが、連絡もないままこの時間になると不安が強まる。

 痺れを切らしてかけた電話にも応答はなかった。
 じわり、と指先に力が入り、手のひらに嫌な汗がにじむ。
 
 ふと、横に歩み寄ってきた人影がヨリに声をかけたのは、そんな頃だった。

「お力になりましょうか」
「……は?」
「先だっては簡素なご挨拶だけで失礼いたしました。JCSのものです」

 気配は、感じなかった。
 思わず相手を凝視する。

 変わらぬスーツと笑みでもって、青年はその視線を受け止めた。そうして、天気の話でもするような軽さで、ヨリに問う。
「待ち人の件、お困りなのでは?」
「……は?」
 再度、同じ声が口から漏れる。
 けれど、そこに籠った感情はまったく違った。
 ――この相手が、なぜ、いま、それを?

「ご安心ください、こちら今回はお近づきのしるしということで、弊社からのサービスとなりますので」
「……わけが、わからないんですが」
 警戒を隠しもせず、疑いの思いもそのまま乗せて、言葉を返す。
 けれど響いた様子はなく――むしろ、笑う気配をいくらか深くさえして、相手はすっと手を差し出してきた。
「詳しいお話は、のちほどゆっくりと。ただ、今回の問題が弊社の望むところではなく、早期解決を目指しているところである、とは申し上げておきます。……できれば、そのためにあなたのお力添えをいただきたいと思っている、とも」
「…………」

 現れないチナミの姿に、応答のない端末。昨日の、無視するには奇妙すぎた出来事。
 ……この相手の目的も意図も、信用も、分かりはしないし判断もできない。それでも、決断はしなければいけなかった。

 ――直感に、賭ける。
 このまま待っても、彼女はこないだろうという気がした。時間を、無駄にするだけだと。他にあてになる情報やツテがある訳でもない。
 それなら、まだ。

 そうして、ヨリは、彼の提案に乗った。

「ご快諾いただき助かりました」
 はたしてこれは快諾だったのだろうか。そんな内心を察してか知らずか、チーフと名乗っていた彼は、案内した先にあった車を走らせながら、慣れた風に笑みを見せる。
「少しお時間のほうかかりますので、よろしければ気になる点などにお答えしますよ」

「そもそも、どうしてあんな都合よく……?」
「そこはお告げで」
「お告げ」
 いきなり飛び出した、うろんな単語。オウム返しに呟けば、ちらりと隣の相手に視線を流したあと、当たり前のような顔での紹介が始まった。
 助手席にいるのは、前回もチーフと一緒にいた少女だ。
「こちら、弊社スタッフのひとり、ドリーさんです」
「ド……?」
 思わず、ミラーに映る姿へ目をやってしまう。洋風の名にはあまりそぐわないその顔だちはともかく、格好はドールのようでもあるから、あるいはそこからのあだ名だろうか。
 ヨリの反応はままあることなのか、青年は微笑みを変えずに言葉を足した。
「黒歌鳥はご存じですか? あるいは、そちらの方面に明るいのでしたら黒格子でもいいのですが」
「…………」
 問いかけのようでいて、気配は『明るいのでしょう?』と断定する色合いが強く感じられる。触れるべきか、やめるべきか。
 
 迷うヨリの様子をどうとったのか、ドリーと紹介された彼女がにこりと笑う。
「ドリーはね、なるべくあなたと仲良くしたいな。チーフもね、よく分からないってみんなは言うけどいいひとよ」
「言われますねえ」
 笑みをいくらか楽しそうなものにして、チーフ、と呼ばれた彼はおどけたように応じた。
「初めにお話しさせていただいた通り、弊社はあなたのご助力を必要としておりまして。なぜ、となれば先ほどの通りで『お告げ』だからということになります」

 お告げ。意味はわかるが、訳が分かるはずもなく。

 ヨリの表情が見えたのだろうか、青年はわずかに考えるような間を挟んでから、提案をしてくる。
「先にそちらのお話からいたしましょうか?」
「ドリーのところにね、きっとあなたなら詳しいからって、教えてくれたお客さんがいたみたい」
「そちらがお告げ、ということになりますね。古くは『黒格子』とも呼ばれた、見えざるもののご意向を告げ、歌うもの。そのため弊社では『黒歌鳥』の名前でお呼びしておりまして、まあ、いつの間にかドリーさん、と」
「かわいいでしょう、ドリーさんって。黒歌鳥よりも好きよ、この名前」
「希望した時に必ず、といったものではないのですが、ドリーさんの歌う『お告げ』は確度も高く、弊社の業務を進める上では欠かせないスキルとなっております」
「……つまり、その、彼女が今回のきっかけだった?」
「ええ。案件に関しては以前から当セクションで追っていた件でしたが、恥ずかしながら、ここのところ少々進捗が思わしくなく」
 ふ、と一瞬だけ小さく溜め息のような呼吸をこぼして、続ける。
「主な対象が若年層に集中しており、情報もオンラインのほうへ集まりがち。我々の組織の体制ではこういった案件を追うのは現在あまり得意ではないのです。その点において、あなたの存在は……そうですね、明け透けに言ってしまえば非常に魅力的だった、ということになります」

 明かされた事情に、なんとも表現しにくい、嫌な感覚を覚える。
 若年層に集中し、オンラインに情報が集まる、案件。
 それは、まるで――。

「――天使の噂。ご存知ではありませんか?」

 ヨリが追いかけ、チナミが巻き込まれている、それだ。

「じきに着きますので、詳しい説明はそちらで落ち着いてからとしましょうか」
 彼――チーフの言葉でいったん話は途切れ、しばし無言で時間が過ぎる。ついた先は、なんということもないよくある小さなビルだった。
 少し灰色がかった白い長方形のそれは、特に不自然さもなく街に溶けこんで建っている。
「車を置いてきますので、少々お待ちください。ドリーさん、お客様をよろしくお願いします」
「大丈夫よ、入り口で待っているから早くきてね?」
「ええ。……そちらのドアの方でお待ちください。では」
 ヨリと少女を先に降ろし、車とチーフがいったん去る。
 
 ドア、と視線で示された方向を見やれば、簡素なガラスの扉が、ひとつ。
「ドリーが開けてもいいのだけど、チーフと一緒のほうがお話が早いから。少し待ってね?」
「はあ」
 ドリー……どうにも慣れないその名前を呼ぶには、ヨリの気持ちがまだ揺らいでいた。自然、返事も曖昧で当たり障りのないものとなってしまう。
 しかし気にした様子はなく、彼女はドアの近くに掲示されたプレートを指でなぞり、独り言ともとれそうな雰囲気で言葉を紡いだ。
「ここがね、ドリーたちのお仕事の、ええとそう、拠点? 事務所? ね?」
『株式会社JCS  関東オフィス』
 表記は簡素に、ただそれだけ。ヨリがつい受け取ってしまった名刺と大差はない。
「JCS……」
 略称だろう、しかしそれもまたありふれたもので、何かを読み取れるほどの情報量はなかった。
 もう少し何かを尋ねるべきだろうか、そんな迷いでヨリの視線がドアとプレートとを行き来する。
 だが、迷いに答えが出るよりも先に、足音がひとつ追いついてきた。

「お待たせいたしました。中へご案内しますので後ろからいらしてください」
 青年が告げながらドアへと進み、取り出したカードを読み取らせる。ピ、と小さく音が鳴り、覚悟を決めるほどの間もなく入り口が開かれた。

 ……いや、今更だ。訳のわからない状況などはもとよりで、それでも決めたのは自分なのだから。
 ふ、とひとつ短い吐息をこぼして、ヨリは2人についてビルへと入った。

 飾り気のない質素な白い壁、どこにでもあるエレベーター。そんなものたちをぼんやり眺め、案内されるままひとつのフロアへ辿り着くと、2つか3つかのドアを通り過ぎ、奥まった一室へと誘導される。
「ただいま少々お見苦しい状況なのですが、そちらにつきましてはご容赦をいただければ。どうぞ」
 言って、キーで解錠した扉を開いた青年が、すっと片手でヨリの入室を促した。
「……お邪魔します」
 短く答え、心中で今更だと繰り返し。
 招かれた先へ、足を踏み込む。

 そうして――。

「そもそも何なんですここ、というかこの集まり!!」
「こちらは弊社事務所ですね。みなさんはスタッフで、清掃業を営んでおります」
「……せ……?」
「清掃、いわゆる片付け、掃除、そのような業務を主に」
 いや、それは分かる。分からないのは。
「これで清掃会社は無理があるのでは!?」
 そう、こっちである。
「噂であれ怪異であれ幽霊であれなんであれ、対処しクリーンにするのであればそれ即ち清掃、弊社その方針で活動をさせていただいております」
「みんな『場』がきれいになると喜んでくれるの。ドリーはそういうの、好きよ?」
「いやそういう話でもな、ある、あるけどその前にこの状況!」

 事務机の集まった、作業場と思われる一角に、パーティションで区切られた何かのスペース。事務机には数台のPCとなにやら大量のファイルや書類。
 そして。

「なぜ清掃会社の事務所にクソデカ神棚と仏壇と謎の宗教的アイテムっぽいもののコレクションが!?」
 ここまでの警戒と緊張をすべて吹き飛ばし、ノンブレスで突っ込むと、チーフがおかしそうに笑って応じた。
「業務上やむを得ず設置したものと、業務上やむを得ず導入したものと、あとはまあ、スタッフの私物などですね」
「業務上やむを得ず!?」
「ええ、業務上やむを得ず」


UP:2025-02-25
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