gottaNi ver 1.1


会議の前に。

F-S.

 覇気のない王。
 ……聞いた話を総合すれば、どうもそういう事らしい。
 即位してから初めての大会議を前に、新帝となった彼は他の国について、改めて様々な情報を集めていた。そのうちの一つ、悪名高きノルン地区を抱えていた王国……天泣。
 六十代を越えるという、あまりにも代変わりの激しいその国の現王は、代々の王や国の姿を考えるに、異色と言う他ない人物だという。
 柔和、控えめ。目立った政治をしたためしがない。皮肉も通じず、穏やかで、とてもあの国の王だとは思えない、本当に実権を握っているのだろうか……など、届く評価は総じて低い。
 要するに、およそ『天泣』らしくないのだ。
「……僕が知っている限り、天泣というのは皇帝陛下にすら臆さない国で、その王は有能かつ雄弁、って話だったんだけどなぁ……」
「先代はその通りの王だったものの、今は……ですな」
 資料を読み返して漏れた声に反応し、横に控えていた男が肩をすくめて言った。
「現王の即位は例の街が消えた後ですし、無理もないのかもしれませんがね」
 地区の一部が急襲を受け、壊滅的な損害を出したことは記憶に新しい。いまも復興は完全ではなく、かの地を根城としていた実力者たちは数を減らしていると聞かれる。
 神槍地方、ノルン地区。——天泣王国の端に位置したその小さな土地には、異様と言える数の異種族が集まり暮らしていた。天泣という国の特異性を象徴するような、不干渉と寛容、無関心と共生の絶妙な配分で成り立っていた地区だ。それを抑え統治することが楽ではないことは容易に想像できる。
 時にその住人たちを利用し、あるいは抑え、ともすれば破滅しかねない綱渡りを続けていたことが、天泣という国がよそから一目置かれていた理由のひとつだった。そのノルン地区が力を失っている今、あるいは王の武威もその必要性を薄めているのでは、との憶測も出ている。
「先王は子息に先立たれたそうですから、あるいは情に流された……という事も考えられます」
「残ったご子息が、王となったばかりに亡くなる事を嫌って?」
「息女がいたとはいえ、やはり子息は惜しいものでしょうから」
 他国同様の世襲制を取りながら、その実、天泣という国は血統を全く重視していない。代々、王に相応しいものがいれば、その人物を養子に迎えて王位を継がせている。今の天泣王もその例だった。
 だが、現王が能力ゆえに選ばれたと信じるものは少ない。自然、先代が父としての感情を優先させ、実子を危険から遠ざけようとしたがため、養子を王に立てたのではないかという憶測が出来上がる。
「天泣の王に限って、あるものかなぁ……」
「相応しいと考えて現王を選んだとは、とても思えませんでしょう。まだしも、情に負けたという方がありそうな話です」
 どちらにせよ、現王の評価が上がるわけではありませんがね、と嘲笑を浮かべ、新帝の側近は言葉を続ける。
「女と見間違うばかりの容姿という事ですので、以前それでひと騒動あったそうですが、その折にも笑って流すばかりだったそうですから……全く、他国の事ながら、下の者が哀れに思えてくる程ですな」
「ひと騒動?」
「容姿を指して『貴重な能のようだから、せいぜい大事にしたらどうか』と言われたことがあったそうですよ。怒るどころか『驕る事なく政務に励みたい』と、助言に感謝の意を表されたとの話で」
「……助言?」
「助言だそうです。どう考えても皮肉……と言うよりは侮蔑でしょうに」
「そこまで行くと、狙ってやってるみたいだけど……」
「だとしても、それで笑っていられる神経が信じられませんな」
 王たるものの気品、威光をわざわざ落とす理由もないでしょうにと、呆れた風情で付け加えた。それからふと視線を机上の書類に向け、告げる。
「……ああ、時間ですよ、陛下」
 そばに置いてあった時計を見てから、彼は主君のため、部屋の扉を開けに行った。
 ——会議が、始まる。

T-T.

 即位してから、外出する事が面倒になった。今では苦痛ですらある。
 そんな事をぼんやりと考えながら、彼は開け放った窓の外に目をやった。
 雪を思わせる白い色。近付いて見れば、細かい花弁が集まり、房になっているのが分かる。見慣れたその花は、いつも以上に外を遠いものにする理由。
「陛下?」
「聞いてるよ。その件はしばらく置いておこう」
 振り向きもせずそう答えた時、風が吹き付けて言葉を途切れさせた。男が微笑む。
「良い天気だし、散策にでも連れて行ったらどうかな。息抜きが必要だろう。言質は取れたらで構わないから、まずは相手を人間として扱いなさい」
「人間として……ですか」
「捕らえられた身だ、不安でない筈がない。冷たく扱えばやはり苦しむだろう。そういう事を考慮するだけだよ」
 釈然としない表情と声の臣下へ、言い聞かせるような穏やかさでそう語り、ようやく王が室内に目をやった。卓上の書類へ手を伸ばしながら、変わらぬ穏やかさで指示を出す。
「うまく扱えば自主的に吐いてくれるかもしれない。態度を硬化させるようなやり方は避けなさい。友好的になる必要はないが、尊厳は守って扱うように」
 話題は数日前に捉えた間者とおぼしき人物の処遇だ。目前に迫った会議への対応で隙があると思われたか、ここのところ客が多い。
 持った紙面を流し見て机へ戻すと、退出を促すように手を振って告げた。
「いずれ壊すにしても絞れる情報は巧く抜いてからのほうがいい。いいね」
「——承知致しました」
 かけられた言葉にほんの一瞬だけ薄く笑って、一礼した報告者が部屋を後にする。丁重に閉められた扉が、ひどく控えめな音を立てた。
 訪れる静寂。
 ふっと、男が壁に近寄る。そこに右手を軽く触れさせて、そのままゆっくりと目を閉じ、呟いた。
「ノルン地区のない天泣の王。……侮るも嘲るも自由だよ。それだけの話だ」
 薄く開いた視界の中に、床へ舞い落ちた白い花弁がある。
 ……雪の白。
 秩序のある無法の街として名高かった地区を有し、そこを抑える力をもっていた国の王。彼や彼女たちは、代々不思議と同じ花を好んだ。
 血に塗れた身を皮肉るような、白い花を。
 統治者たる者たちが一同に集う大会議は、大抵この花の季節に開かれる。
 現王である彼もまた、大会議を目前にした今に咲く、雪の白に抗えなかった。だから、常以上に外へ出たくないと思ってしまう。
 ……その花は、あまりにも鮮やかだった日々を突きつけて散ってゆくから。
 望んだ玉座。迷いのない選択。解っていても痛みは消えない。
「笑って生きてきた。僕はまだ天泣王として此処にいる」
 強く瞳を閉ざして囁くと、天泣を統べる王は壁から手を離して時計を見た。
 いつものように穏やかに微笑して、扉へ向かう。心の内でだけ呟きを零した。
 ——ならば私は笑ってみせよう。何人たりとも、この心に痛みを与える事は適わないという顔で。

K-T.

「フラメアの新帝……か」
「棕紫様とおっしゃるそうですね。先帝のご令弟との事ですが、あの方が何か?」
 気のない呟きにも丁重な言葉を返し、男は主の顔に目を向ける。この大会議では実質的に対等となる立場の相手なのだから、この帝でも気になるのだろうかと考えながら。
 その思いを知っているからか、フラメアと同様に『帝国』である国の王が小さく笑った。
「……天泣の国王をどう見ると思う?」
「陛下のご令兄を?」
「あの王を、だろう? ……お前の悪い癖だな、それは」
 そろそろ慣れても良さそうなものだが、と呆れた様子でいつもの注意をされ、彼は慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません。その、つい……やはり陛下のお身内となりますと」
「器用だな。外でなら評判通りの扱いもできる癖に、何をどうしてそんな使い分けをするんだ、お前」
「はぁ……」
 答えに困った表情に、問い掛けた側が白旗を振ってみせた。
「まぁ良いか。……で、どうなると思う?」
「棕紫様に関しては、殆ど噂がありませんでしたからね……正直に申し上げて、私には見当がつきかねます。臣下の皆様についてであれば、常どおりの評価だそうですが」
「だったら、じかに確かめるか」
「何をですか?」
「前評判が中々に笑えるんだよ、フラメアの新帝はな」
 言いながら、思い出したように楽しげな笑いを漏らす。
 奇妙な流れで帝国へとやってきたこの統治者は、こうして時折、どこからとは明かさずに情報を持ってくるのだ。
 即位のすぐ後から仕えている彼ですら、まだ今もこの男の言動には驚かされてばかりいた。
「前評判?」
 先帝が退位するという報を受けてすぐ、次代については調べている。性格や能力など、最も欲しい部分が殆ど分からなかった事は、報告したのだから知っているだろう。
 だというのに、何故そんな話が出てくるのか。
 訝る顔の側近に、主君は軽く肩をすくめてみせ、答えた。
「あの外務官にご執心だと。友好を深めようと鋭意挑戦中らしいな」
「——は?」
「よりによって氷刃にだ。天泣王がどうなるか、気になるだろう?」
 最近になって言われだした『氷刃』の呼び名は、非情と噂される『言霊師の外務官』を指したもの。そんな相手に近付こうというのだから、天泣を統べる者への評価も他とは違うかもしれない。
 天泣を隣国としている彼らにとって、愚鈍とすら言われるあの国の王をどう見ているかは、相手を判断する重要な材料である。
 ……話す二人の前方に、議場へ繋がる扉が姿を見せた。


UP:2023-08-27
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