gottaNi ver 1.1


堕栗花の本気

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 元・天泣王であると同時に、現・鬼見城帝の兄でもある人物。
 天泣王国と鬼見城帝国、どちらにも関係があるその王族は、両国間の対立を避ける担保として鬼見城が預かり、扶養している存在として知られている。

 両国を一気に押さえるため、そこに目をつける事は決して間違いではない。
 ただ、直接そこに手を出す場合、紛れもない『天泣王』を相手にする用意がなければ、敗北は必至だった。

 厳然たる事実を何も知らず、安易に狙いをつけ、不用意に過去を暴き立てた報いは大きい。

 滑らかに紡がれる声が淡々と指示を出す。
 その言葉に逆らうものなどこの場にいる筈もなく、また余計な口を挟む者もいない。
「使える戦力は全て動員しておいて下さい」
「了解。――目的はどのように?」
 目を向けることすらせず、感情を読ませない響きで一言が放たれた。
「完全な沈黙を」
 それは、これまで一度も発される事のなかった命令。
 以降、誰一人として何の疑問も異論も口にする事なく、彼らは命を遂行する。

 まず初めに、本人を呼び出してその前歴を告白させた査問会の帰り、天候の予測を誤って航路の選択を間違い、出席者一同の乗った騎獣が墜ちた。
 各国の政治関係者が集まる『私的な会食の場』というのが査問会の名目だったため、この事件で立場が有利になった幾つかの国へは自然、その情報を掴んで何かを仕掛けたのではと疑惑が向けられたが、証拠はない。

 突然の事故に当然の不信を示し、被査問者の許に各所から客人が訪れる。
 関係者が全員揃うと、査問会の内容について説明の席が設けられた。
「主として、縁のあった相手が政略に関わってくる事を避けるため、天泣王室の養子は例外なく前歴を完全に秘匿されます。身内を名乗る人間が大挙して王城へ現れたり、親類を人質にされたりといった事態は避けるべきですから」
 微笑を浮かべて語り、名前以外の総てを手放した人物は告げる。

「堕栗花天泣が天泣の名を得る以前に何者であったかなど、知る必要がありますか?」
 涼やかな問い掛けは見惚れるようなその笑顔と同じ穏やかさ。

「前歴など、そんなものは存在しない。今までもそうであったし、これからもそうでしょう。それが答であり、事実です。何か問題が?」
 絶句して目を剥く一同を他所に、62代目の天泣王は席を立って退出した。
「ならば、査問はどうなったのだっ?」
「待……っ、まさか、あの事故は!」
 重なる叫びに応じる言葉は、ない。

 次にその夜、件の事故を天泣の策謀と断じた某国が、ある邸に火を放ち、天泣に縁の王族を殺害しようと図る。
 狙われたのは数代前に退位した国王。今では全く政治に関わらず、故に殺害の影響も大事に至る程ではないと考えられ、報復の標的にされたのだろうというのが概ねの見方だった。

 邸には当時、あちこちの国から内密に集まった要人とその従者がおり、彼らも当然ながら巻き込まれる。
 襲撃を尤もな事と見て手を貸す国もあれば、それを防ごうと天泣の側に手を貸す国もあった。
 事の次第がそれぞれの中枢に伝わった時には既に、邸は焼け落ち、滞在者たちは散り散りに脱出を試みた後で、襲撃と火災、それに脱出した後の凍て空や魔物から逃れきったのはごく少数。
 結局、こういった事態に慣れていた天泣の他は、全ての客人が数名の従者を除いて死亡した。

 仕掛けたのはどこの国だったのか、誰がそれに乗じ、誰が防ごうとしたのか、責任はどうなるのか。
 事後処理の混乱と派手な事件への興味とが各国に広がる中、ごく限られた実力者だけが真相を悟ったが、彼らは例外なく沈黙を守っている。

 その限られた関係者の一人が、前触れなく渦中の人物へと面会を求めて現れた。
「数ヶ月の静養が必要ではありますが、一命は取り留められました。意識もご無事です。
 ……ただし、面会はご遠慮いただきたいとの旨、承っておりますので、この場はお引取り下さい。
 『顔に火傷をしており、見苦しい姿をさらす事になるため、我侭を通させて頂きたい』と」
「……傷は、残るのか?」
「いえ、そのような心配はございません。
 幸いな事に、我々が全員、何とか動ける状態でしたので、処置が遅れずに済みましたから」
「分かった。では兄上がお許しになり次第こちらへ知らせてくれ。改めて伺う」
「はい。申し訳ございませんが、今しばらくお待ち下さい」
 踵を返す間際、その視線が険を孕んで無言の問いを投げかける。

 気付かない振りをして、従者は丁寧に礼を返した。
「お怪我が命に関わるようなものでない事は確かです。直ぐにお会い出来ましょう」
「そう願いたいな」
 付け足されたやり取りが含む意味は明白。
 部屋に通せないのは、いくら包帯で顔を隠したとはいえ、その程度の偽装で弟を誤魔化せる筈もないからだ。
 本来そこにいるべき人は、自分でつくった怪我など意に介さず出かけている。
 処理し切れなかった人物の始末をつければ、戻ってきて代役と交代し、今度こそ本当に静養するだろう。

 査問会から半月、開催側の関係者は全員が死亡した。
 報告を受け、堕栗花は静かに笑んで応じる。
「ご苦労様でした」

 前歴など、存在しないし必要ない。天泣の名を与えられた時、望んだのはそれだけの事。


UP:2023-06-03
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