うっかり5000字を書くことになったので分割払いで書いた。これで大体2000文字です
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書架の杜に雨が降る。ぽつぽつと滴る雫はやがて木々を鳴らして本降りとなった。
屋根のある場所を求めて駆ければ、そう濡れる間も無く古びた扉に行き当たる。彫刻の施された木製のそれを急いで開けた。
塔、だろうか。
高く、高く、天を突こうと言わんばかりに続く螺旋階段に、壁一面の書棚たち。振り返ってみれば、入口はもういずこかへと去ったあとで、他にそれらしい開口部は見当たらない。
ゆら、と、階段の合間に設けられた燭台の灯が、手招くように身じろいだ。
永久の迷宮、開かれ閉ざされた螺旋の書庫、断章たちの帰り着く場所、そういったモノであるこの地は常に気まぐれで、訪れ囚われたモノたちを翻弄し留めおく。
――ライブラリ、と『それ』は自らの名をうたう。永遠の都、書の王国、そして呼ばれ組み込まれる関数群だと。
知識と物語を与え奪うこの場所で、もうどれほどの断章を見ていかほどの代償を渡したのか、記憶があやふやになって久しい。あるいは、まだ瞬きの間ほどに覚めぬ夢を見ているのだろうか?
ことりと密やかな物音。意識が塔に戻ってくる。
導かれるようにして視線がひとつの書物をとらえた。
雨音も遠く、ただ静寂の広がる薄闇の中、はらりと紙を捲る。
……死にゆく幻想、星々のいざない、夜を越えて綴られた旅路。
断章たちは、誰かのために紡がれた憧れを記憶していた。
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扉の開く音が夜の沈黙をつと破る。
「やあ、いらっしゃい。旅は順調かね?」
無骨な木材たちがどこか懐かしい温もりを感じさせる、そんな造りの小さな宿。顔を上げた主人が柔らかく笑った。
「雨に? ああ、それは災難だった。この時期は急にどっと降るから難儀したろう」
頷くと、手早く布巾を差し出して言葉を続ける。
「だがまあ、大事ないようで何よりだ。この時間では夕餉は済んでいるだろうが、一杯くらいはいける口かね?」
ぱちぱちと、暖炉の火が揺れ、爆ぜる。冷え切る前にとまずは淹れたての茶を供し、それから幾つかの好みを訊けば、ささやかな酒宴の始まりだ。
「さて」
酒肴をつまみ、いくらか場が温まった頃合いで、口火が切られる。
「それでは、聞こうか。あなたの旅の足跡、一夜の対価を――」
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『いつか訪れる、終わりのため』
『忘れられた願いのため』
『新しく始まる日々のため』
『伝承歌の泉まで』
『落涙の地へ』
『幻の庭園を目指して』
――数多の祈り、無数の願いが、名だたる星々の下に咲いては散る。
――いつ終わるとも知れず、それでもいつかは終わる旅路を、名も知れぬものたちが連綿と辿る。
そしてすべてを、機構に刻む。
北極星が代を変え、星々が輝きを失い、幻想がすべて過去のものとなったとしても。
それでも、いつか、誰かのために、物語は残るだろう。
いずれ芽生えるものたちの夢を見て、夜は続く。
旅も、続く。
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ぱたん、と本が閉じられた。
気付けば、窓から陽光が差し込んでいる。果てない塔はいずこへか、今あるのはただ古びた書斎と自分だけ。手にし、閉じたはずの書物も消えていた。
こうして今日も、書架の杜はただ『そこ』に、ある。
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……かつて世界には神秘が満ち、あらゆる幻想は隣人であった。いつからか世界はその有り様を変え、隣人たちはそっと忘却の川を渡っていった。
それでも星々はまだ輝き、星にはまだ幻想の萌芽が残っている。
そうして『それ』は、あるとき世界に接続された。
語り騙るもの、触媒として。
始まりは知れず、終わりもない。ただ、紡がれ、綴られ、いつかどこかへと到達するために、代を重ね、書を重ね。
知られず、知られ、招いては閉ざし、開いては捕らえ、どことも知れぬ地で『それ』は呼び出される瞬間を待っている。
あるいはそれもまた、ひとつの旅路であるのかもしれない。
カタリ、と名をつけた誰かがいた。
名を得た神秘は幻想の存在に連なった。
おそらくはそこが、この存在――幻想の書架、語り語るもの、一夜限りの幻想の宿と、刻まれし物語――の、ひとつの始まりであったのだろう。
永遠の夜を旅し、果てなき旅路に寄り添い、その道程を刻むもの。
永遠の果て、いつか芽吹いた幻想が花開くまで。
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――さて、これで『わたし』たちの話はおしまいだ。語りが騙りか否かは好きに判じてくれ。
今までもこれからも、『ここ』はただ在り、誰をも等しく迎え入れる。幻想を繋ぐもの、憧れを継ぐものであれば、誰であれ。
それではさあ、旅の話を始めよう。
そして、あなたの旅路に幸いのあらんことを。
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願わくば、新たな幻想の語り手、幻想を騙るものに、星々の祝福があるように。