gottaNi ver 1.1


27.居もしない誰かに想いを馳せることを『恋』と呼び慣らし
  ……こんにちは、×××(任意の言葉挿入)へようこそ

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 戻ってくると、ここしばらく通うようになった、主を恋うているという鬼に出くわす。
 振り返った視線がこちらを向いて、常は涼やかな、その目元が険しくなった。
 気付かない振りをして、笑いかける。
「いかがしました?」
 すると彼女は、挑むように束の間だけ、紅で彩った唇を吊り上げた。
「……いいえ? 何も。そちらこそ、この地を離れてしまうなど、何かあったのでは?」
「まさか。我が心は、我が君に。たとえ一時、主の住まう地を離れたとて、何ら変わりはありません」
「随分と余裕のある事ね? 寵愛を奪われてから戻ってきても遅いでしょうに」
「まあ、あの方が、誰かに物狂うというのも、無いように思ってしまうもので……」
 苦笑してみせると、勝ち誇る色の微笑が咲いた。
 自分は巧くやれると信じきっている、ここで寵を望むには、あまりにも無知で無垢な傲慢さ。

 全てを見透かすこの地の主が、全てを顧みずに笑う。
 この、涸れない力を持つ麗しの君は、決して思慕など欲さない。

 指を伝う、自身が流す血の雫を、常と変わらない風情で舐め、笑った。
「寝間に通おうというので、断った」
「どのように?」
 仔細を促せば、より深く笑んで戯れの次第を明かす。
「昇るとは限らぬ月よりも、常に側近く咲く花を愛でた方が良いだろうと言われたが」
「それを、踏み躙って見せた、と」
「見目を誇る者は逆撫でしやすいな……月のほうが目に心地よいと告げただけで、これだ」
 ふと思い立って、断るついでに挑発してみた所、激昂されての怪我らしい。
 防がなかったのは、我に返った相手が、事の大きさに思い至り、狼狽すると思ってだろう。
 思いを寄せられている事も、彼女が誰に敵愾心を抱いているかも、何を言えばどうなるかも、承知での行動。

 近付く気配に、主が口の端だけを少し吊り上げた。
「閨」
 数えるほどしか口にはしない略称を、わざわざ聞こえる大きさで呼ぶ。
 甘えるように、あるいは、媚びるように、ゆるりと腕を伸ばしてこちらの肩口に手を掛け、顔を埋めて見せた。
 小さく、咽喉の奥だけで笑う気配。
 無言の求めに応じて、心持ち首を傾け、顔を寄せると、その耳元に囁きを落とす。
「余り遊びすぎると、戻ってこなくなるのでは?」
「加減はするとも」
 言って、まだ軽い身体が離れた。
 たった今、その存在に気が付いたという様子で、立ち尽くす気配に目を向け、言葉をかける。
「……戻ったか。折角の見目が汚れているな」
「っ……その、着替えて参ります……」
「そうするといい」
 この地の主たる鬼に傷を負わせたのだ、死さえ覚悟してきたろうに、これは赦されたとしか考えられない。
 思いがけず掛けられた、慈しみさえ感じられる声に、彼女は混乱した表情だった。
 そちらからは見えない位置で、事を狙い通りに運んだ鬼が、目を細めて笑みを零す。

 彼女は、恋い慕う相手が、思い描いている姿とはかけ離れた存在であると、気付くだろうか。
 目の前で『閨の月』を重用してみせ、傷を受け、赦しを与える、その全てが一時の戯れだと。

 居もしない誰かに、想いを馳せることを『恋』と呼び慣らし。
 ……こんにちは、我が君の統べる領国へ、ようこそ。

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 閨の月。えっちゃんにかかれば何もかもが退屈しのぎに。


UP:2020-09-29
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