26.終わりが来てくれた、 やっと終わる。
やっと新しい朝を迎えられる。
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意識を残したまま目を閉ざす時、想像かとも取れる曖昧さで、瞼を抜けて届く陰影。気のせいと断じかねない微かな気配は、その揺らぎによく似ている。
触れるか触れないかで背中合わせになる、常に側にあってつかず離れず微睡むもの。
艶のある黒髪を肩下まで流し、目元にかかる前髪の奥で灰緑色の眼を笑わせたそれは、ただ静かに紅の羽織を床に広げている。
蔑むではなく、だが決して同じ立ち位置までは降りてこない、射抜く強さを有した微笑。
試すようにその指先が持ち上がり、伸ばされると、瞳が煽るようになお笑った。
佇むのは、長く分かたれてきた半身。
微かに床板を鳴らし、すっかり慣れた風情の洋装で歩みを進めるそれは、ただ穏やかに灰緑の色も鮮やかな眼を向けている。
臆するでも挑むでもなく凪いだ、しかし退く気配は微塵も見えない、静かな強さを宿した視線。
試すように腕を持ち上げ、指先を伸ばすと、瞳が笑うように刹那揺れた。
どちらからともなく、あるべき在り方を望む。
いずれは取るために離した手だ。相対して目を合わせた以上、空を掴ませるわけにはいかない。
重なった手に、セラドン・グリーンの色が瞼に隠され、唇が深く笑んだ。
名は血に戻り、血は名を辿り、鬼の魂は人の気性に、人の心は鬼の気配に、それぞれ帰り着く。
役目を終えた羽織が、音もなく床に落ち、広がった。それを拾い上げた香は、面を上げて、久しぶりに戻ってきた己を確かめる。
格段に上がった認知範囲と、確実に変わった自己認識。
客観では何ら変化のない風景も、内面と力が変わるだけでこうも鮮やかに塗り変わる。
人と鬼、いずれにも偏らない事を望んで、境界に在り続けるため、やや力の勝っていた鬼の気性を封じてから、随分と長く人間としての性情で時を過ごしてきた。
共存しうるようになった二つの血が、完全に同一のものへと戻る瞬間、それぞれの呟きが意識に浮かんで、消える。
終わりが来てくれた、やっと終わる。
やっと新しい朝を迎えられる。