「――という出来事が、昨晩に保管庫で起きまして」
「はあ」
報告には、間の抜けた相づちが返ってきた。
工房横の部屋に棚を乱立させて作ってある、引き取った品々の仮置き場。修繕が終わっていない絡繰をまとめて管理しているそこで、店の主従は夜の出来事について話をする。
懐中時計、小箱、錠前、と、途中まで直して手を止めた依頼品を、それぞれに合わせた方法で保持して棚へ戻しながら、絡繰屋は記憶を掘り起こした。
「昨晩、夜ねえ……」
取り寄せた部品の検品をして、アンティークの錠を分解清掃して、懐中時計の歯車を組み直して、気が付いた時には夜明けだった……ような気がする。
朝焼けに気付いて、ああ、この色の塗装であれとあれの外装補修を頼まないとなー、とか、そんな事を考えた記憶があるので、たぶん間違いはないだろう。
「……ええー、オルゴールなんて鳴ってたっけ」
「作業に没頭していて気づかなかったのでは」
「んんー、ないとは言えない」
指摘に笑い、隣の棚へ。
「タイミング的には、まあ、これだよねえ」
こん、と軽く叩いたそこには、雷汞堂から渡された、遺品になったという例の品が保管されていた。
「鍵はかかってるし……無理に開けたような痕跡もないかな。うーんと、あとは……どっかのネジが緩んでるとかもない、と」
「鍵は一つだけでしたか」
「うん、いつものあれ。この棚はこいつだね」
扉まわりをチェックしながら、閟誕からの確認にうなずいて、絡繰屋は手にした鍵束からひとつを選ぶ。いくつかの例外を除き、保管庫の鍵は棚ごとに使い分けてあった。スペアはない。
鍵はすべて、普段は店主の目が届く場所に置かれている。必要があれば誰かに貸すこともあるが、昨夜はどの鍵も絡繰屋の手元にあった。
「あり得ない話でスが、一応は確認を。マスターキーは?」
「あれが無断で使われる時は絡繰屋さんが死んだ時だね」
「そして貴方が使った覚えもない、と」
「絡繰屋さんがあれを使うのは死ぬ時だけだよ」
「左様で」
言い切る声に、そうでしょうね、と人形は簡素な同意を示す。
この奇跡屋、職業意識なのか性格なのか、仕事で受け取ったものには徹底した管理能力を発揮するのだった。破損も紛失もうっかりなど認めず、保護と施錠は抜かりなく。
マスターキーで保管庫を開けるような事態は、確かに、死ぬ前にまとめて物品を運び出す時くらいだろう。
「……しかし、となると本当に、誰も触っていないオルゴールが動いた、という話になるわけでスが」
「あー……うん、そうだねー」
「…………」
一転して熱を失った声での返事。
奇跡に興味のない奇跡屋、とはこれいかに、である。
***
あまり興味はない、とはいえ、再現実験は必要だ。
「とりあえず、もう一度オルゴールが鳴るか、と……閟誕が見た子供が現れるか。あと絡繰屋さんのほうにも何か起きるか、かな。しばらく工房にでも置いて、様子を見よう」
「まァ妥当ですかね。お互いが遭遇した『少女らしき何か』の特徴を比較検討できれば更によかったわけでスが」
「うーん、女の子……幼女……いや少女? そのくらいの年頃かなとは感じたけど、ふわふわで。細かいところは、記憶にないよねえ」
会話をしながら、二人がかりで、工房を手早く片付けゆく。
よく使うから、と出しっぱなしの工具や端材を、拾っては棚へ戻し、見つけては棚へ戻し、久しぶりに掃除機などもフル稼働だ。
いつもは修繕のための備品が雑多に放り出されている、壁際のサイドチェスト。その天板をきれいに空けて、軽く手入れする。
チェストに敷いた真新しいクロスの上へと、問題のオルゴールを慎重に取り出し、その手前にはパーツ置きの銀トレイを、これも一応きちんと清掃してから配置した。
簡単な食物と酒類を揃えて、トレイの上にそっと供える。
「安置オーケイ、食料飲料の提供オーケイ、余計な資材の収納もオーケイ、と」
「まァ……最低限の形は調えられましたかね」
祭壇……とまではいかないが、それなりに歓待の意思表示を整えて、準備万端である。
「夜にならないと来ないとか、あるかな?」
「さァ。関係することもありますし、関係ない場合もありまスし」
「イーブンかあ。じゃあまあ、絡繰屋さんは夜まで作業に戻るから、何かあったらよろしくー」
「はい」
時間帯はまだ昼頃。いつもとは逆に、従業員が工房に、店主は店舗へと位置取りを変えた。
店のカウンターで作業できる、細かい品々を持ち出して、絡繰屋が工房を後にする。店舗と工房との連絡に使っている装置がきちんと動くかだけを確認して、閟誕はそのまま待機に入った。
何事もなく、じきに陽が傾く。
これは夜までかかるか、あるいは翌日に持ち越しか……と、人形は動かない顔の下で見通しを立てた。
無音で、ちいさな靴が、不意に冷たい床を踏む。
薄青い影。
幼い少女のような、光を透かして輝くダイヤモンドダストのような、人であって人でないような、あいまいな存在。
「……おや」
青が深まっていく薄暮の中、前触れなく現れた、冷えた空気をまとった小柄な影。気付いた閟誕は小さく声を発すると、すぐに店舗へコールを送った。
「なにー?」
ほどなく姿を現した絡繰屋が、のんびりと声をかけながら工房へ立ち入る。
「きゃ」
ほぼ同時、煙るような気配をまとった影から、小さな驚きの声が上がった。
ちらりと氷の反射光をまとわせ、声の主は、姿をあいまいなものとしていた、青い影を夜気に解(と)かす。
「あれ、ごめん。驚かせたかな」
ひとかけらの動揺もなく、絡繰屋は謝罪を口にする。それから軽く首を傾げて、同じく軽く、控える人形の名を呼んだ。
「ねえ、ひたーん」
「はい」
「絡繰屋さん、お客さんがくるなら先に言って欲しかったんだけどー」
そうして、彼は従業員に、明後日の方向でお叱りの言葉を投げかける。
「……あー……」
何とも言えない音を漏らして、閟誕は状況を再確認した。
工房にいるのは自分と店主――そしてオルゴールの『幽霊』と思われる少女。つい先ほどまで、ぼんやりとした人影をしていたそれは、絡繰屋が工房に『君臨』したタイミングで、よりはっきりとした人の形をとっている。
思うに、この奇跡屋が意識して場を掴もうとしたことで、少女の存在も固定されてしまったのだろう。
そして、おそらく、この奇跡屋は自分がやらかした事案に気付いていない。
呼ばれて来たら人がいた、客なら「工房に入れる」と一言くらい欲しかった……そんな顔と雰囲気である。
「……馬鹿と違いますか、貴方は」
「ええ?」