それは、あまりにも突然だった。
――学園で知らぬものはいない存在と化している、とある部活のいつもの話。
それは、あまりにも突然だった。
何の変哲もない、穏やかな昼前の時間。
選択した授業が休講だったので3階のテラスへ行き、のんびり読書を楽しんでいた僕の耳に、いきなりその音が飛び込んできたのだ。
ドラマなんかでよく聞く、銃を撃つときのアレに似た……でも、多分、銃声よりは少し低いような、軽いような、そんな音が。
「なっ……?」
訳も分からずただ驚いて、読みかけの本を閉じて立ち上がる。
音源を捜して首を巡らせたその時、今度は明らかな爆発音が響き渡った。
「……っ……!」
目をやった先には、火花にしか見えない橙色の点と、薄い灰色の煙が広がる空。
動悸の治まらないまま、爆発(に、間違いないだろう、多分)の起きた空から、その真下へと視線を転じ、……僕は、自分の心臓が一瞬、活動を停止したんじゃないかと思った。
前よりずっと早く鳴り響く心音を感じながら、声を張り上げる。
「――加納(かのう)っ!」
呼びかけが聞こえたんだろう。校舎3階分の下から、どうしたって白衣にしか見えない上着姿の生徒が、顔を上げてこっちを向いた。
「何をやらかしてんだよ、お前はっ!」
叫ぶけれど、相手の声はここまで届かない。動かないように言い置いて、僕は一気に階段を駆け下り、昇降口から外に飛び出す。
「加納っっ!」
「早いな月館(つきだて)。呼吸と心臓は無事か?」
「お前、今度は何、やらかしたッ!」
「いやただの実験だが」
「……待て。」
(やっぱり白衣だった)上着の襟元を右手でつかみ、僕はできるだけ平静に、加納へ質問をした。
「実験だって言うなら、先生が近くにいるはずじゃないのか?」
「……あァ、松(まつ)さんも最初はいたんだがな……」
言いながら、かけていた伊達眼鏡を外して口元に当てる。小さく息を吐くと、あらぬ方向を見やって、さらりと爆弾を放り投げたのだ、彼は。
曰く。
「用意をした辺りで飽きたらしく、点火前になって面倒になったらしい。ちょっと席をはずすが作業を続けるように言い置いて、以来まだ戻ってこないところを見るに、その辺で煙草でも吸っているんだろう」
「あーのーヒートーはー……っ!」
一音ずつ区切るように語尾をのばして、僕は長々としたうめき声をあげる。
あの人というのは、加納が部長をやっている科学部の顧問、科学の教師である松月(しょうげつ)雪音(ゆきね)さんの事。
僕は彼女の授業を取っていないし、会った事も数回しかないのだけど、授業は分かりやすいという評判だし、問題が起きたという話も聞かない。
だから、やる事はちゃんとやって、手を抜いてもいい所では力を入れない人なんだろう。……けど。
「実験を生徒に任せっきり、ってのは、マズイよ? ちょっとさぁ……」
加納なら任せておいても大丈夫だろう、と考えての事なんだろうけど、それにしたって、ねぇ……。
思う事は色々あるものの、言える事が見つからない。
とりあえず僕は、つかんだままだった加納の上着から手を放した。そして、その場にしゃがみ込む。
不良座りで頭を抱えていると、八つ当たりたくなる位に落ち着いた、加納の声が降ってきた。
「準備が済むまではちゃんと監督していたし、点火は導火線式だからな。ここまでやれば、自分が消えても問題ないと思ったんだろう」
「もう、ちょっと……こう……さ……? こう……何て言うか……体面?ってものが、さ……」
頭から離した両手を、膝の上で組みながら、顔だけを上げて訴える。
加納が何か言いかけて、右肩の方向……僕から見て、少し右によった正面へと顔を動かした。つられて目を向ければ、松月さんが歩いて来ている。
立ち上がって軽く頭を下げると、小さく笑って右手を上げられた。きっと、これが彼女の挨拶なんだろう。
数歩分の間を空けて立ち止まると、僕と加納を比べるように見ながら言う。
「こっちでも何かあったのか?」
言葉使いだけを聞くと、まるで男の人みたいだ。何度か聞いてはいるけど、やっぱり僕は、まだ違和感を覚えてしまう。
だけど、この人にはこの話し方が良く似合う。
そんな事を考えていた僕の横で、加納が口を開いた。
「……という事は、そちらでは何かあった訳ですか」
……ん?
「んー、まあそういう事になるのかな。こっちはどうだったんだ?」
「驚かれはしたらしいですが。月館が飛んできた以外、まだ何も起きてませんね」
……ええと?
「なんだ、じゃあ大丈夫そうだな」
「何がですか?」
「そこで警察が来たのに出くわしたもんだから。少し派手過ぎたかと思ったんだけど」
……は?
「けいさつッ?」
小さく短く、叫ぶように聞き返す。
松月さんは、一瞬だけ驚いた顔をして、それからごく落ち着いた様子で説明をしてくれた。
「ああ、ここの学園がまた何かやったんじゃないかっていうんで、近所の人が通報したらしくて」
「それで、どうしたんです? 松さん」
加納の合いの手に、あっさりとした答が返る。
「いや、酸化還元反応の実験で、って」
「え? それで納得してもらえちゃったんですかっ?」
「うん。あっさり帰ってってくれたけど」
うわ。
ひょっとして、もうこれくらいの騒ぎじゃ驚きもしなくなってるのかな……この辺の警察って。
何だか、ここの生徒としても、生徒会会計としても、すごい申し訳ないっていうか、哀しいっていうか。
別に、そこまで沢山の騒ぎを起こしてるって訳でも……ない、と……思いたい。ん、だけど……な……。
「で、流石に今回の実験は、ちょっと派手過ぎたかと思ったんだよ。学校側も怒るかなぁ」
いや、あの、せんせい……? 怒るとか、そういう問題でもないと思うんですけど。
「まあ、多少の苦情は来るかもしれませんが。進退問題になるような事も無いでしょう」
……加納も。何だか色々と違う気がするよ、それ。
とかいう僕の心の声が聞こえるはずもないから、2人の話は、どんどんとおかしな方向に進んでいく。
「んー、後で校長に謝っとけば良いか」
「あぁ、それで良いんじゃないですか。大丈夫だと思いますよ」
「じゃあ私が頭下げとくから。えぇと、校長……何て名前だっけ?」
松月さんっ! 待って、待って下さい。その発言はどうなんですか? どうなんですかそれは。
「あぁ……確か、柚野(ゆずの)とか柚垣(ゆずがき)とか」
加納も違ってるしね。
何かもう色々と諦め気分になりつつ、僕は話に割って入った。
「柚丘(ゆずおか)。柚丘だって柚丘。柚丘(ゆずおか)武美(たけみ)さんだよ校長は」
「あぁ、それだそれ。柚丘だったか」
ぺん、と気の抜けた音を立て、手を打ち合わせた加納がそう言うと、松月さんが腕を組み、深く頷く。
「良し。じゃあその柚丘さんとやらに頭下げてくればいい訳だな」
だからどうなんですかその言い方は。ねぇどうなんだよそれ。
……とか言う困ったやりとりの後、松月さんは事情説明のため、職員室へ向かった。
僕は加納を手伝い、足のついた円筒とか、黒い粉とか、よくわからない道具を化学室へと戻しに行く。道中、ふとある事を思い出して聞いてみた。
「そう言えば、さ」
「どうした?」
「実験って、一体どんな実験だったんだよ、あれ」
2歩くらい先を、怪しげな紙袋(大分よれてるし、何か薄く汚れがついてる)を抱えて歩いている加納が、あぁ、と呟いてさらりと言う。
「花火……と言っても、かなり小さい奴だが……それを打ち上げたんだよ」
「……は?」
「本当なら夜に上げた方が良いんだが、それは流石に無理があるからな」
「いやそういう事じゃなくて。そもそも何で花火なのさ」
今はもう秋。ちょうど、色を変えた葉っぱが姿を見せ始めた頃だ。そりゃ、花火は夏にやらなくちゃいけない、なんていう約束がある訳でもないんだけど。
でもやっぱり、季節外れの感はぬぐえない。
「自宅を片付けていたら、夏に上げ損ねた花火が見つかったとかで、松さんが始末に困っていたからな。だったら実験に使ってしまおうという話になって、とりあえず一発だけ、様子見で上げてみたんだ」
…………。
……………………。
「……ん、分かった。説明ありがとう」
『見つかった』って、そんな危険そうなものを放っておいたんだろうか、とか。
そもそも、なんで家に花火(打ち上げ)があるんだろう、とか。
ひょっとして作ったんだろうか、とか。
色々と思う所はあったけど。
僕は、とりあえず何も聞かない事にした。
片付けを終えて図書室に行ってみる。そうしたら、僕と同じく、生徒会の役員をしてる友人を見つけた。
「あれ? 月館じゃん。この時間って授業じゃなかった?」
「休講。で、爆発音がしたからそっち行ってた」
「あーアレ。私は聞かなかったけど、友達が聞いたとかで話してたよ」
首をかしげて、思い出すようにしながら言う彼女へ、苦笑して事情を説明する。
「何か、科学部の実験だった。花火を打ち上げたらしいよ」
「花火? 今もう秋で、しかも昼前だよ?」
「うん。夜にやるのは流石にまずいだろうって、今の時間にしたってさ」
「へー。友達は『とうとうこの学校でも、発砲事件が起きたかと思った』って言ってたけど」
……あの、さ。
少し迷いながら、でもやっぱり気になって、僕はひとつの質問をした。
「……ねぇ」
「なに?」
「うちの学校って、どういう所だと思われてるんだろうね?」
2秒くらいの沈黙の後、彼女は、大真面目に……でもちょっとだけ笑いながら、言う。
「こういう所、でしょ?」
―― fin.