春先の公園。ふたりはいつでも、こんな調子。
……先輩たちのなんてことない日常の一幕。
……寒い。
春も近い頃なのに、どうしてこんなに凍えているのだろう、自分達は。
――理由なんて、分かり切っている。
そう、考えるまでもない事だ……原因など、分かり切っているのだから。
やる事もなさそうに、1人の少年が空を見ている。
春先の公園。白梅が微かに香り、季節が変わり始めている事を知らせていた。風はまだ冷たい。
日なたにある木製のベンチに腰を下ろした彼は、身体の脇に両腕をついて天を仰いでいる。足元に置かれたコンビニの袋が、風を受けて小さな音を立てていた。
「……タマシイはみ出てない? 何かさぁー、間ぁ抜けてるっていうか、いっそ痴人ぽいよ、九条」
およそ『遠慮』という概念からは程遠く、それでいて悪意のこもっていない声。
言われて、九条怜が視線を転じる。目の先にいたのは、彼とほぼ同じ年齢に見える少女。
「そうですか? ……あんまり嬉しくない表現なんですけど、それ」
「んー、まぁホラ誉めてないしねぇ何せ」
「深川さん……」
脱力したような顔で名を呼ばれ、深川涼奈は可笑しそうに笑った。
馬鹿丁寧な彼は、基本的にいつも控えめだ。だが、大人しいのかと言えばそうではないし、時に驚くほど大胆な事をやらかしてみせる。面白い。
「授業サボって、放心してるところぉ見っかって、誉められたいってぇのも妙じゃん?」
笑いながら指摘すると、九条はまた空へ目を戻して口を開いた。
「あー……まあ、そうなんですけど……」
「けど?」
「……僕の持ってる時計が、壊れてなければの話ですけど……今、授業時間じゃないですか?」
「そぉだねぇ」
「……そうすると、深川さんもサボってる事になりません?」
「そぉだねぇ」
「……戻らなくて、いいんですか?」
「そぉだねぇ」
「…………」
ちゃんと話が通じているのだろうかと、一抹の不安に駆られた彼は言葉を切る。数秒の間を置いて、上を向いたまま沈黙する九条に、不思議そうな視線を投げかけた彼女が、問いを投げかけた。
「何? ガ○ラでも飛んでたよ?」
「何でそうなるんですか……?」
「や、何となく思いついたから」
まーでもアレかぁ、ガメ○が飛んでりゃ、空ぁ見てなくても気付くやな、とうなずきながら語る深川に、今度は完全な沈黙が返る。見れば、右手を顔に当ててうつむいている友人の姿。
「……どーしたよ、九条」
「ああ、ええと……少し、眩暈がしたような気がして……ずっと上を見てたからでしょうか……」
明らかに心因性の症状なのだが、そこを指摘しないのが彼の性格だ。心遣いを知ってか知らずか、眩暈の原因が小首を傾げた。
「いつからいたんだか知らないけど、冷えたんじゃないの? いーかげんにさぁ」
「……そうかも知れませんね。」
ビミョウな間をおいて、無難に答を返す九条。その複雑な心境に気付いているのかいないのか、彼女は普段どおりのマイウェイを突っ走る。
「ってかそもそも、ここに何の用があったのさ?」
「用、というか……空が見たかっただけなんですけど」
「……黄昏たいなら相場は夕方。今は昼。太陽に向かって叫びたいなら舞台は浜辺。」
「……いえ、そんなベタな青春に憧れはないですけど……」
苦笑しながら否定すると、驚愕の一歩手前くらいに意外そうな顔をされ、尋ねられた。
「人気のない公園に、広い池に、ベンチに、高校男子が揃ってて? 憧れない?」
「……学校に戻りましょうか、そろそろ」
なるべく自然な動きに見せて、眼前の相手から視線をそらせた彼が言う。
足元のビニール袋へ手を伸ばし、左手の方向にある橋を指し示すと、深川もあっさりと同意した。
「いーんでない? やっぱ、まだ寒いしねぇ」
「本格的な春はまだ先ですから。香散見草は咲きましたけど、春というとやっぱり桜でしょう」
「かざみぐさ?」
鸚鵡返しに呟かれ、ああ、と気付いた九条が足を止める。
「梅の事です。『香り』の『香』と、『散る』の『散』と、『見る』の『見』で、『香散見草』……散る香りを見る草、という意味じゃないかと思いますけど」
説明しながら、数歩を進んだばかりの橋で欄干に近寄り、遠くに見える白い色を指し示した。まだ四分咲きといった風情で、霞のように散りばめられた梅が見える。
「はぁ……面白い名前があるもんだねぇ……」
感心した表情と声音で言いながら、香りを見ようとするように、深川は欄干の向こうへ身を乗り出した。
……そして。
「あ。」
足が浮く。
「うわ。」
で、お約束な展開で、手近な物体へと手を伸ばし、掴んだ。
「ちょっ……」
結果。
――まだ肌寒い日もある春先の昼、深さはないが広さはある池に、水しぶきが2つ上がる。
管理が行き届いているからか、藻などの繁殖がない、上等の水質だったのは救いだろう。
カップラーメンが出来るかどうかという時間で、とりあえず上陸には成功した、にわか寒中スイマーの2人を包むように。
白梅の香りを見せ付けて風が吹いた。意識せず、言葉が口から零れ落ちる。
「……寒っ。」
「……香散見草も、まだ……四分咲きの頃ですから……」
……春は、まだ遠い。