24.焦燥感に突き動かされて走り出す
間に合え間に合え もう何もいらないから
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あの王が、天泣という国のためであれば、己の名や命になど拘泥しない事を、忘れていた訳ではない。
だが、侮っていたと言われればその通りで、弁明はできないのだろう。
天泣の力を削ごうと盛んに非難を繰り返す隣国に、譲位の報せを送れと命じられたのは、すでに大半の手続きが済まされてからの事だった。
「式典および儀式は各国の予定を見てからですが、その通達の発送と共に、書類の上では譲位を行います」
届くまでにより時間のかかる、遠方への通達は既に発送したと言う。残った報せは、隣国への一通だけだと。
警鐘が、鳴る。
いつも通りに穏やかな笑みを浮かべるこの王が、ただ譲位を行うだけの筈はなかった。
「……式典のついでに、招待した客人の口を塞ぐそうです」
王が変わり、話し合いを改めて始める前に、慣れた者同士で仔細を詰めておきたい。それが名目。
まさか、新王の就任を祝う式典の最中に、王城の中で他国の客人を殺すとは誰も思わないだろう。
「そこまでするからには、こちらも相応の犠牲を出さなければ……」
一方的に相手だけが犠牲になれば、天泣への非難は避けられない。釣り合うだけの損失を、天泣も被らなければ。
「幸い、手頃な人物がいる、と」
挙げられた名は、予想していた通りの、最悪のもの。
祈るような面持ちで、その名前を告げた王は、願いを紡ぐ。
「公式にはまだとはいえ、譲位は成立していますから……名分は何とかします。すぐに鬼見城へ向かって下さい」
対象とする隣国の客人に、国王は含まれていない。
そこで天泣王の位にあったものが死ねば、犠牲としては釣り合いがとれるものになる。
襲撃の目的が、不甲斐ない先王の命を奪う事だったと発表すれば、隣国の犠牲は襲撃を阻止しようとして巻き込まれた末のもの、と見せる事ができるだろう。
あとは幾つかの工作で、上がる声を押さえてしまえばいい。
実にあの天泣王らしい、己の名も命も踏み台にした方法だった。
天泣の内部からでは、止める事などできはしない。それを許すほど甘い兄でない事はよく知っている。
可能性があるとすれば、天泣の外におり、名実共に天泣の上に位置すると言われている国、鬼見城の帝……彼らの弟だけだろう。
指示の理を認めながら、養父とは違い、情を捨てきれなかった新王の言葉が頭に響く。
止めなければ。
幸い、自分はもう随分と生き、多くのものを手に入れてきた。家族も、既にそれぞれの生活を送っている。ここで惜しむものなど何もない。
騎獣のもとへ向かう時間すらもどかしいと、強く思った。
焦燥感に突き動かされて走り出す。
間に合え、間に合え。もう何もいらないから、どうか。