17.「諦めることが出来るかもしれない」
そう思った時、初めて見える 世界が広がる
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窓越しの世界、楽しそうに走る子供、可笑しそうに話し合う大人。
その光景を見るともなく眺めて、静かに思う。
彼らに混ざり、一緒に走る事はできないし、多分、彼らに混ざり、一緒に話し合う日はこない。
それは絶望というよりは希望で、予測などではない事実。
存在を曲げようとする意思を向けられれば、本能が抗おうと足掻きだす。
陽の光は容易く肌を焼いて、気侭に歩き回る事など許さない。
畏れの生んだ迷信は、この身を災厄の元凶として規定していた。
自分の全てが、生きるには余りにも脆弱で、生かされるには不利だった。
生きている以上は避けられない、窓の外側に、少しずつ近付いて踏み込んでゆく。
歓迎されない存在である事は知っていて、否定される事には次第に慣れた。
投げつけられる嘲りも蔑みも、そう出来ているものだと思えば腹は立たない。
ただ、やり方を間違わなければ受け入れられる筈だと騒ぐ声が、鬱陶しい。
彼らに受け入れられる事は、生きていく上でそんなにも重要だろうか。
思い返してみたならば、微かに受け入れられる日を願っていた記憶がある。
向けられる目に怯え、否定される事を恐れなかった訳でもない。
だがそんな祈りに全てを委ねるよりも遥かに、祈る事をやめ全てと自力で戦うほうが良かった。
かつては確かに存在した祈りを切り捨ててでも、否定を退け死を拒む。
受け入れられたいとは望まないし、受け入れて欲しいとも求めない。
代替の利く祈りなど、さっさと捨ててしまえば良い。
生まれついた世界に固執するから見えないだけで、まだ世界は広がっている。
此処を失ったとしても、生きる場所など幾らでもある。
視点を少し変えるだけだ。
「諦める事が出来るかもしれない」
そう思った時、初めて見える。
世界が広がる。
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まだ幼く、脆弱であった頃の、彼。