2015年の正月 >> 香籠
あと数名ほど書き足そうかなあ、と思っていたものの、そのままにしてしまったやつだ!
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年始のオフィス街は死んだように大人しい。
ほんの少しだけ期待してかけた電話は留守で、年末年始の休業を知らせる、自分が録音した事務的な言葉が返ってきた。
それでも、きっと今年もそうだろう、と自分でも馬鹿みたいな確信をして。
「…………」
看板は出ていない。明かりもついていない。
それでも迷わずに手を伸ばしたドアはあっさり開く。
ふわりと、緑茶の香りが届く。
「あああー、やっぱ開いてるじゃないですか店長ー! オープンなら俺やりますよって言ったのに!」
「やあ、あけまして」
「あっはい、あけましておめでとうございます……って、そうじゃな」
「今年もよろしく」
「うす、こちらこそよろしくおねがいしま……じゃなくて」
明かりは窓から入る自然光だけ、いつもより少し暗い店内に、いつも通りの人。
薄く色の入ったレンズの奥で、灰色っぽい緑の、変わった色の目が笑った。
「やれ、新年早々せわしないことだね」
「うぐっ」
ふう、とお茶を一服して吐かれた溜息に言葉を奪われる。
――というか、ポットやら何ら、そういうものも大掃除で片付けたはず、で。
「……うわー、お茶まで入れちゃってるしー。準備なら俺がやりますって言ってるのにー」
「まで、というか、それしかしていないがね、今日のところ」
生まれつき、少し目に問題を抱えている、というこの店の主は、普段あまり雑用をしない。
自分が店に入る前はやっていたらしいのだが、目の調子や明かりの具合なんかで、注意して見ないと細かい汚れに気づかなかったり、陳列する品物の区別がしにくかったり、いろいろ不便なことがあったと聞いている。
その話からこっち、雑用はなるべく引き受けるようにしてきたのだけれども、時々、この人はこうして自分でやってしまうのだった。
「あっ、明かり! 電気つけます? フロアちょっと暗いですよね」
「いや、いいから少し落ち着きなさい」
慌てて電灯のスイッチに向かおうとしたら、呆れた感じで止められる。
「もう昼近いし、今の時分なら充分に見える。何も元旦から明々と営業を主張せずともよかろうさ」
まぁとりあえず座りなさい、と応接用に置いてある椅子をすすめられた。
「……えええー、店長ー、流石にお客様用のこれには座りにくいっすー」
「ふむ、少しはらしくなってきたようだね」
「ご、ご指導のたまま、たまものです?」
こういうところでさりげなく評価を入れてくるからこの人こわい。全くぜんぜん油断できない。
「とりあえず俺、事務室から椅子もってきます、ね……って、香籠さ、じゃなくて店長ぅー! そこ足元注意です配線がー!」
「……私はくたばる寸前の枯れ木か何かにでも思われているのかね。見えているし、そもそも引っかかったところで転びはしないが」
「うわあああん違います誤解です怒らないでー! お茶なら俺が淹れてきますって言いたかっただけなんです! やめてくださいクビにしないで!」
「……あぁ、うん、分かったから椅子を持ってきなさい」
「うす」
新年しょっぱなからエラい事をした。
冷や汗をかきつつ、ちょっと反省してから椅子を持って戻ってみると、広めにつくられているカウンターの上には新しいお茶。
「……あ」
漂う香りはさっきのものとは違う種類で、どこか甘い香ばしさが気を楽にしてくれた。
「もうそろそろ、落ち着いてきてもらいたいものなのだがね」
「……正月って苦手なんですよー……」
わざわざ淹れなおしてくれた焙じ茶をすすって、下を向く。
沈黙する街並み、底冷えする空気、凍てつく風。独りで震える子供に、暖かなイメージだけ見せつけて通り過ぎていく、その時間が苦手だった。
拾い上げられて、こうして逃げ込む場所まで用意してもらって、それでも騒いでいないとどうしようもない。
「…………」
相手の余裕に甘えている自覚はあって、けれど謝るのも違うと知っている。
返す言葉に詰まって、かといって視線を下げたままでいるのも気まずくなってきた。
迷ってふらふら上げた視界に、ふらりと席を立つ背中が映る。
「――あ」
行ってしまう、と跳ね上がった鼓動が細く声を押し出した。
「……とりあえず、同じで構わないかね?」
「――あ」
届くわけがない音を、拾って、声が返される。
「……はい。お願いします」
軽く掲げて見せられた急須、注ぎ足されたお茶。
じわりと温かさが戻ってきて、長く息をついた口から言葉がこぼれ落ちた。
「店長」
「うん?」
「精進しますんで、今年もよろしくお願いします」
あたたかい場所で、あたたかく笑う。
いずれ自分が『温める側』になれる日まで、きっとあと少し。