8.何が出来るだろう、この私に
何が変えられるだろう、この世界の
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必要とされるものは、世界を捉える意思ひとつ。
亀裂が広がってゆく世界。
生まれ持った制約である筈の魔力容量を肥大させる、あまりにも馬鹿げた甘美な選択に、人は憐憫さえ覚えるほどに容易く盲従する。
多少なりと、世界の理を知り、それを形作る力の流れを扱う者ならば、法術など、技量を磨きさえすれば幾らでも自由になるものだと識っているだろうに、だが彼らはこぞって儀式を求めた。
己の内に保持する魔力を用いる方法は、もっとも単純な法術の形。自らの魔力容量に縛られたその形を補い超える労を厭った多くの術士が、手早くより強い法術を扱う為に、魔力容量の限界を破壊するという道を選んでゆく。
本来、総てを統べる聲ひとつあれば事足りるものを。
己の内だけでは魔力が足りない、望む力が紡げない、と彼らは言う。
だかそれならば、不足する分は外部の魔力に頼ればいい。
それを実現する技量を持たず、技量を磨く労を惜しみ、魔力容量が増えれば力が得られるなど、何という傲慢か。
己の内にある力が増えれば増えるほど内圧は高まり、それを制する為にはより強い聲が必要となるものを、気付かない愚かな術士たちは、ただ盲目的に逃げ道を目指す。
愚かな、とは思った。
だがそれ以上に、流される者の多さを知って足が鈍った。
これが世界の姿というなら、わたし一人に何ができると言うのだろうか。
余りにも多くが、逃げ道へと流され儀式を求めている。
ここで一人が足掻いた所で、変わるものがどれほどあるのだろうか。
ああ、けれど。
この世界にあって世の理を識り、この世界にあって世の理に縛られ、この世界にあって世の理を望む者である以上、この世界にあって世の理を守る以外、道などありはしないのだ。
迷う時は、瞑目せよ。
零しかけた言葉は、閉ざされた視界と共に闇へ沈め。
そして、眼(まなこ)を開け。
何が出来るだろう、このわたしに。
何が変えられるだろう、この世界の。