朽ちた屋敷。廃墟となった富の証。それはつまり、遺跡。
砂塵と埃を鮮明にする、天井の穴から零れる光。それだけを頼りに歩き続ける。
打ち捨てられた家具や崩れ落ちた板が乱雑に転がる床は、気を抜けばすぐにでも足を取られて倒れるだろう。
「……よくもまぁ、こんな立派な遺跡が放置されていたもんだ」
一目で腐っていると判るドアに軽く触れ、感嘆の呟きを漏らす。
何度か押して状態を確かめると、厚い手袋を外して背後を振り返った。
「――まぁいいか。」
ごく軽く決断し、男はドアを破壊しにかかる。連続して、三度。
ド派手な破裂音が響き渡った。
――破裂音。回数は三回、おそらくは、何らかの改造を加えた銃……。
暗闇の中、耳に届いたその音を冷静に分析する。
だが。
次の瞬間、意外とすら言えないあまりな展開に、思考が急性の凍結を起こした。
ドアが飛ぶ。
差し込んだ光を背に受けて、人影がひとつ佇んでいた。
「やり過ぎたかな?」
一切の容赦なく、全力でドアを蹴り飛ばす。その結果として出来た長方形の穴を眺め、彼は少し考えてみた。
来るまでに発見した罠は全て元通りに直しておいたし、銃声が聞こえてもそう短時間ではここまで辿り着くことはできないだろう。
ならば、この破壊跡が他人に見つかるのもまだ先の話で、それなら逃げられる。
逃げてしまえば犯人の特定は難しいものと思われ、従って。
「捕まるとは思えないし、いいやな別に」
「……良いんでスか。」
突っ込まれる。それも妙に気の抜けた、それでいて綺麗かつ中性的な声に。
一拍おいて背後を振り返り、やはり誰もいないことを確かめてから、今しがたブチ破った……というかむしろブチ抜いたドアが転がる部屋の中へ呼びかけてみた。
「ダメかな?」
「捕まるのはまずいからダメでしょうねえ」
「あぁうん。それはマズイんだよねぇ」
つられて間延びした返事をし……はたと我に返る。
「いやだからそうでなく」
「はァ」
「うんだからそうでなく。捕まんないんだからマズくはない訳で」
手袋を外したままだった右手の人差し指をぴっと立て。
「マズくはない以上、いいじゃないか」
至極まじめそうな顔で結論を語った。
そのまま、沈黙が訪れる。
ぼーっと、流れる砂塵やら埃やらを眺める事しばし。
「……はァ、じゃあまぁ良いんじゃないでスか」
これまたぼっーっとした声が結論に同意した。
「そうそう、いいよね別に」
「そうですねえ、良いんじゃないですか別に」
相手の顔も知らないまま、どうにもピントのぼけた会話が続く。
「ほら、世の中逃げ切った者勝ちって言うし」
「いや知りませんが。まぁ言うんでしょうねェ」
「言わなかったかな? 捕まらなかった奴の勝ちだっけ? まぁ言うんだよ多分。うん」
「どちらでも大差ない気はしまスし、良いんじゃないですか」
「だよねぇ」
「ですねェ」
「……」
「……」
「ところで、貴方ここの家の人だったり?」
「人じゃないでスが、それが何か?」
「あ、違うんだ? じゃあいいや、問題なし」
「はァ、それはどうも」
「いえいえ、こちらこそ」
「……」
「……っていうか、そこ暗くない?」
「暗いですね」
「暗いとこがお気に入り?」
「いえ、そういう動機付けはされてませンが」
「ひょっとして、動けなかったり?」
「いえ、機能に不備はありませんが」
「……そっち行ってもいいかな?」
「はァ。来たければご自由にどうぞ」
「じゃ、お邪魔します」
断ってから、彼は室内に足を踏み入れた。障害物のなくなった入り口から光が差し込んで、部屋の明るさを上げる。
最低限の家具すらない、物置のような空間には、かなりの年月をかけて堆積した埃と声の主。
片膝を立ててもう一方の足を投げ出し、壁に背を預けて、自身に積もった埃すら気にする様子のない『それ』は、声同様に気の抜けた視線を男に向けていた。
「美人さん超埃まみれ」
「賞賛ですか罵倒ですか」
「……感想?」
「分かりました」
瞬きすらせずに、整った顔は口だけを動かす。色の薄い肌にも満遍なく埃が付着していたので、彼はとりあえず手袋をした左手を伸ばし、頬の汚れを拭ってみた。
不自然なほど綺麗に埃が落ちる。
右手の指先でそこに触れてみると、ひやりとした温度が返ってきた。
その間ずっと、相手は微動だにせずされるがままになっている。
「えーっと、あれかな」
「どれでスか」
入室前のやり取りを思い出しながらの呟きに、極めて端的な応答。
「人じゃないって、この家の住人じゃないっていうか、そもそも人間じゃないしって話だった?」
「ええ、まァ住人でもないですが」
「あぁうん分かった。ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
また会話が途切れてしまったので、上着の袖で全身の埃を払ってみた。服の汚れは落としきれないようだ。
「洗えばいいかな」
「無理じゃないですかねエ。経過時間一世代級の汚れでスから」
「うわ、ざっと二十年?」
「大体その程度だと思いますが」
あぁうん、きっと流石にそれは無理だね、と頷いて、男は疑問をぶつけてみる。
「約四半世紀も何やってたの?」
「何も。」
「……何でまた、こんなとこに?」
「よくある話で、虚栄心の為なら浪費を惜しまない好事家が買い取ったものの、同類が押し込み強盗に変貌、渡してなるものかという意地で仕舞い込んだ挙句に本人は多分死亡したと。そういう話じゃないでスかねぇ」
「よくある話かなあ、それ」
「はァ。私の周りではよくありましたケドも」
「そうなんだ? まぁじゃあよくある話だねぇ」
「よくある話ですねえ。まァ自律人形が手に入るとなれば、目の色変えるのは当然でしょうし」
「ふぅん?」
感情の読めない声音に、彼は疑問を隠さず首を傾げた。
「自律してるモノを手に入れるなんて、土台無茶なことに血道をあげる人間がいるんだ?」
一度も動かなかった無感情な目が、ゆっくりと瞬いて瞠られる。
「希少品を是が非でもと欲しがる人間は多いと思いまスが」
「でも自律してるんだよ? 自由意志で動いてるものを支配しきれるはずはないんだから、自律人形を手に入れるって矛盾した概念じゃないかなあ。大体、単純にモノ扱いできるっていうのがおかしいよねぇ、自律しちゃってるのに」
「……そういうものですか?」
「うん。まだ土下座して側に居てくださいっていうなら分かるけど」
「はぁ」
僅かに不思議そうな風情を見せ、人形は眼前の人間へと問いを投げかけた。
「そうすると、貴方は私が欲しくはない?」
「まぁ、くれるっていうなら貰うけど。土下座はする気にならないねぇ。モノ扱いとか支配とかは、そもそも出来る道理がないから論外だし……結局、決定権は僕の側に存在しない訳だし……」
考えながら答え、結論を出す。
「いるかいらないかなら、いるかな。手に入れたいかどうかだと、手に入れられる筈はないからNOで、欲しいかどうかは貴方の意思があるなら欲しいっていう程度?」
「……差し上げましょうか?」
言ってみると、今度は彼が瞬きをした。
「いや、貴方が良いならほんとに貰っちゃうよ?」
「はァ、私は構いませんのでどうぞご自由に」
「……」
「……」
今までよりは随分と重い沈黙を挟んで、しかし続いたのは変わらず気の抜けた返事。
「えーっと、じゃあ遠慮なく。いただきます?」
「いえ、お構いなく」
そうして、人形はゆっくりと立ち上がる。
「それで、何をしに来ていたんですか?」
「……どうしようか?」
「はぁ」
「絡繰屋的に面白い仕掛けとかがあったらいいなぁと思って来たんだけど、正直あれなんだよねぇ」
「どれですか」
「予想外想定外奇想天外な展開すぎでもうお腹いっぱい?」
「……はァ、そうですか」
「うん何かもういいや。あぁ、じゃあ帰ろう、うん」
二度三度と頷いて、彼ははたと手落ちに気付く。
「あぁ、しまった」
「どうしました?」
「名前忘れた」
「……記憶障害か何かでスか」
「どれかというと健忘とかアルツハイマーっぽいって言われるけど」
そうじゃなくて、と手首から先を振って否定のサイン。
それから人差し指で自らの顔をポイント。
「職業が機械修理業で『絡繰屋』。何卒よろしくお願いします?」
そして、同じ指を正面へ向けてロックオン。
求められている事を悟った自律人形は、今度こそ、疑いようなくはっきりと目を瞠った。
「名前、ですか?」
「うん」
差し出されたのは迷いのない肯定。
「……種別は、自律人形。名称は……」
躊躇うように間をおいて、覚悟を決めるように目を閉じて、自らの名を、初めて呼ぶ。
「――閟誕」
「ヒタン?」
呼ぶ声に目を開けると、閟誕は汚れた壁を指でなぞった。閟誕、と薄く字が描かれる。
「……閟、誕」
確かめる声がまたその名を呼んで、もう一度。
「閟誕」
絡繰屋は満足そうに破顔して、思いがけず得た友の名前を記憶した。
閟誕は、思いかけず得た呼び声の主に、微笑する。
邂逅はどこまでも型破りで、底抜けだった。