かれらの〈庭〉に、年月はない。ただ、季節……と言えないこともないような、天候の移り変わりや、咲く花々の交代などは、存在した。
春のような、淡い色合いの満ちるその場所で、イグ、と呼ばれる〈翼鳥〉が不思議そうに首をかしげる。
「アル、それなぁに?」
「何かの子供……だと思う。怪我をしてる」
視線の先には、同胞である〈水脈〉のアル。常にまとっている紗織りのショールを腕に抱えて、ひな鳥を一羽、そっと包んで運んでいたところを、イグに見つけられたところだ。
緋と橙の色をした、アルのてのひらほどの毛玉が、ときおりふわふわと身動きする。
「かわいい」
思わず、口元をゆるめて呟いたイグに、アルが穏やかな笑みを返した。
「うん。……治ったら、帰そう」
かれらの〈庭〉では、迷いこんできただけの、通常の生命をきちんと育んでやることは難しい。時の流れが外界とは違っているためだ。
夏のような、すこし強さを増した日差しの降る木陰で、ひな鳥が一羽、まだ少し危なっかしい様子で、下草の中に転がされた果実を探してはついばんでいる。
いつも通りに柔らかな雰囲気で、そんな風景を見守るアルと、木漏れ日の下に寝ころんだイグ。
「……その子ばっかり見てるね」
不意にこぼれた言葉は、拗ねた子供のような声音だった。
目を同胞へと転じて、ひとつゆっくり瞬いたアルが、これもゆっくり、首をかしげる。
おっとりした反応にくすりと笑って、イグ――火と怒りとを支配領域のひとつにする超常の種は、試すように声を継いだ。
「その子がいなくなったら、どうする?」
「イグ?」
不思議そうに名を呼んで、それから、ふとアルの手がイグの髪を梳いていく。その指先の感触と、なんの警戒心も不信感もないまなざしと、意図がよくわかっていないのだろう、きょとんとした顔と……要するに、自分をまったく疑わない、同胞のすべてに満足して、アルは上機嫌でころころと笑った。
「嘘だよ、アルが本当に嫌なことはしない」
「知ってる」
「うん」
一瞬の間もあけずに返る答が、かれらの間にある深い情のあらわれだ。
「イグ」
「なぁに?」
ひな鳥へと視線を戻していたアルが、ふと、告げる。
「好きだよ」
「――知ってる」
***
秋のような、色づいた木々が立ち並んだ森にのびる、一本の小道。
足先に舞い落ちるいくつかの葉を、そのまま踏み割るのも何となく悪い気がして、そっと避け、〈大樹〉であるコードがゆっくり、梢の様子を確かめながら歩いている。
風に吹き散らされた、色鮮やかな花弁と葉に、ちらちら金朱の色が混ざったのに気付いて、コードが足を止め、空に目を向けた。
「コードー」
いつもより慌てたような気配で、同胞が、炎色をまとった風の羽をゆらめかせながら、小道に降り立つ。
なにごとだろうか、と駆け寄ってくるイグを観察してみれば、いつぞやのアルと同じように、小さな生き物をひとつ、その腕で抱えていた。
「拾ったのか?」
「うん」
問いかけに、腕を差し出してイグが答える。
浅葱と瑠璃の、青い体毛を震わせて、まだ一人立ちには早すぎる幼さの獣がそっと顔を上げた。
「さっきねえ、ひろったー!」
勢いのいい報告を静かに受け止めて、コードは幼獣の体調を確かめる。
「親とはぐれたのだろうな。……体温が高い。冷やして様子を見るか」
「元気になるかなぁ」
「ああ。アルは?」
「向こう。呼ぶ?」
かれらの〈庭〉は、基本的に『死』とは縁遠い。それでも弱り、迷ってしまった生命はこうして、同胞たちが見つけては気まぐれに世話をしていた。
冬のような、葉を落とした木々と、澄んだ空気がよく見える湖畔。
〈翼鳥〉イグが抜け落ちようとする魂を守り、〈水脈〉アルが血と生命を補い、〈大樹〉コードが肉体を癒す。
そうやって簡単な手当てをしてやれば、眠るばかりだった獣も、しばらく休ませてやると動き回るようになった。
ちょこまかと後をついてくる小さな姿を、イグはどうやら気に入ったらしく、楽しげに連れ歩いては相手をしている。
「……イグ」
「なぁに」
「私たちだけは、寂しいか」
ふと、呼び止めてコードがそう尋ねれば、ぱっちりと目を合わせてから、同胞は、嬉しそうに幸せそうに、大きく笑った。
「ううん。ふたりがいればいい」
「そうか」
浮かんだ、ほのかな笑み。
「コードは?」
「同じだ。アルもだろう」
問いかけにコードも微笑みを返して、ゆるくイグの頬を撫でる。
「そうだね」
「今度はイグが付きっ切りだね」
笑い、のんびりと足先で水面を撫でたアルが、遊ぶイグを眺めて穏やかに言った。
「じきにすっかり回復するだろう」
「早く元気になるといいけど」
「そうだな、群れが移動すると帰しにくい」
「うん」
外界には時間の制約がある。保護した生き物をきちんとした環境に戻すのは、タイミングに注意がいる作業だ。
もうすぐ訪れるだろう、その時を思い、返す場所、時期を考え込むコード。真面目な同胞に微笑んで、思索を見守っていたアルが、ふと細く息を吐き出した。
「……アル?」
あまり穏やかさが崩れることのない同胞の、珍しいため息に、コードも珍しく、大きく首をかしげてアルに身を寄せる。
「少し、寂しいかな」
「帰すのが、か? それとも、今イグがいない事が?」
「どっちも」
ゆるりと苦笑し、また水面をそっと撫でてぼんやりとするアル。
たぶん、この同胞はそんな感情でさえ穏やかに流してしまうのだろう。
「アル」
「うん?」
呼びかけて、軽く袖を引いてから無防備にのばされた手を取ると、コードはひとつ、口づけを落とした。
「愛している」
「……知ってる」